著者
松本 豊寿
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.97-112, 1962-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13

近世城下町は典形的な身分制都市であり特権都市である.前者から士庶居住区分制が問題となり,後者からは都市域の特権的分化が検討されねばらない. 侍町と町屋は対立する都市域であるとともに経済的には結合せんとする性質をもつ.街村状町屋と団塊状町屋を基本系列とし,これと侍町が結合して最終的には,江戸で代表される4段階と8つのタイプが設定される.これら類型群は同時にまた発達段階をも示すものである.特権都市としての城下町では営業の地域的独占制とそれと関連する同業町の成立が当面の課題となる.とくに特権町人と結ぶ中心街区の町座や株組織の結成は重要で,ここに城下町の中の城下町としての封建的都心が形成される.城下町都心は機能の専門化=同業者集住と機能の複合化=業種の多様性という相反する両面をもち,それをみたすために都心部の膨脹と大型化が促進される.封建的都心には当然のこととして地域差が存在するが,他面城下町自体の大小も問題となる.小城下町では都心と非都心部の地域構造上の断層が著しくなく,それだけ都心の成長と発達はルーズである.
著者
松本 豊寿
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.9, pp.473-482, 1960-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6

Yamaguchi and Sumpu which newly became capitals of “Han” in the middle of the 19 th century had peculiar characteristics in their town-area formation. Firstly their castles had been turned into administrative offices and had lost their military significance. “Samurai Yashiki” existed in fact, but “Samurai Machi” had not been set up yet. It was a residental quarter for scattered bureaucratic retainers. “Machiya” had lost their privileged township characteristics. “Machiya” had been abolished and the phenomenon of confining a special trade to a special section had ceased to exist, so that business in general had been diffused all over the town. A new centrall street had taken the place of the old business center, and the core of the town had moved to the centrall street from the castle. In short, this new capital was by no means a castle-town, and the writer of this article calls this new capital “Hanto” and considers this phase the last stage of a feudal castle and the forerunner of a modern city.
著者
松本 豊寿
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.11, pp.593-605, 1964

近世城下町の商圏は,二つの相反する属性をもっている.一つは封建的商圏としての性格であり,他は経済的商圏のそれである.封建的商圏は城下町本位の商圏で,その独占的優越を領主権力によって維持確立しようとする.「商物方限令」は,その法的表現である.しかし, 19 C. に入ると農民的商品経済の発達は,在郷町を基軸とした経済的商圏の要素を強化し.両商圏の対立ど競合がはげしくなる. 19 C. も中葉以降になるとこの傾向はますます激化していくかつての城下町オンリーの単独商圏は,在郷町の局地的商圏との協同,それとの複合商圏を構成することによってのみその発展が保障されるのである.旧方限令の改定や「出店中宿制」はよくこの間の事清を物語ってくれる.かくして城下町中心主義の方限とその商圏は,方限軽視の自由流通の波によって,大きな変質を余儀なくされるのである.それにしても封建体制のつづく限り領主的反動による封建的商圏の再生が執拗に繰り返されるが,その経済主義的立場より非合理性の故に,これは結局,斜陽的主張の哀歌にすぎない.<br> 版籍奉還と廃藩置県は古い方限制の撤廃を必然化し,純経済的地域分業にもとつく近代都市的商圏へとそれ自体を転化するのである.