著者
松浦 智子
出版者
埼玉大学大学院文化科学研究科
雑誌
日本アジア研究 : 埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要 = Journal of Japanese & Asian Studies (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.95-109, 2011

明代に出現した二つの楊家将小説『北宋志伝』と『楊家府演義』には、楊業の第五子である楊五郎が契丹軍の囲みを抜け出し、五台山で出家する情節が見える。一方、宋代に編纂された複数の史書には楊業の息子が僧侶となる記述が見えない。では、史書には見えない「楊家将」の一員が「僧侶」となる故事は、どのような過程を経て出現したのだろうか。最初に「楊家将」と「僧侶」が結びついた例が見えるのは、南宋の話本「五郎為僧」であるが、注目されるのは、その後の元雑劇などに見える楊五郎が、五台山と深い関係を持っていることである。五台山は、仏教の霊場であるとともに、北辺に位置するという地理的条件から、古来、軍事的要衝でもあった。そのため、南北宋交替期の靖康の変の際には、五台山の僧兵たちが、抗金勢力となって金軍と戦った例が宋代の史書に複数みえる。こうした北敵の金と戦った山西五台山の僧兵の姿は、もともと西北系の軍人のために創設された南宋の瓦舎において芸能化されてゆき、それによって、同じく北敵の契丹と戦った山西の英雄「楊家将」の芸能と融合していったと推測される。その結果、五台山に出家し、対契丹戦で活躍する楊五郎の故事が出現したと考えられるのである。
著者
松浦 智子
出版者
早稲田大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究は、多民族が流動・衝突する金元華北の軍事社会に生じた"異文化と武力世界"に関わる各現象が、北方系の英雄を題材にとる明刊通俗戦記小説の形成過程に、如何に関与していたかを考察するものである。昨年度(H19)に引き続き、宋代山西の英雄・楊家一門の活躍を描く「楊家将演義」(『北宋志伝』『楊家府演義』)を研究対象の中軸とした本年度(H20)は、主に2008年3月に楊家将の故地である山西省で行ったフィールド調査で得た情報の分析を進めた。具体的には、元の中期頃に楊家将の末裔を称する楊懐玉なる人物によって建てられた楊忠武祠に伝存する、元の天暦二年と泰定元年に繋年される二つ碑文を検証した。結果、この二つの碑文に記される山西楊氏の系譜が、『宋史』を始めとする史書系統に書かれる系譜とは大きく異なる一方で、元雑劇や小説といった通俗文芸に描かれる楊家将の系譜に近いものとなっている事を見いだした。ここから報告者は、楊家将の故事に見える世代累積型の体系が、これまで考えられていたよりも早い元の中期頃に、北方中国である程度形成されていたという新知見を得るに至った。この検証結果は、これまで文学研究分野で殆ど等閑視されてきた金、元北方の地域社会が、小説を始めとする俗文学の形成に与えた影響力の大きさを解明する重要な糸口に繋がると考えられる。本成果は、2008年10月に京都大学で行われた日本中学学会で「「楊家将」物語の形成過程について-山西省楊家祠堂の元碑、家譜を手がかりに-」として口頭発表し、更にこの発表を元に手直しを加えた原稿に沿って、2008年11月に中国武漢大学で開かれた「明代文学与科挙文化国際学術研討会」で「"楊家将"故事形成史資料考-以山西楊忠武祠的文物史料爲線索」として発表した。後者で発表した原稿は、2009年夏に出版される論文集に掲載予定である。