- 著者
-
梅原 さおり
吉田 斉
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.8, pp.514-522, 2022-08-05 (Released:2022-08-05)
- 参考文献数
- 42
我々の宇宙はなぜ反物質がなく物質でできているのか? 物質はどこからきたのか? これは,「物質優勢宇宙の謎」と言われる我々がまだ解明できていない大きな謎である.この謎を解明するかもしれない鍵が,「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」という原子核の崩壊事象にある.この「反物質」とはなにか? 我々の身の回りの物質は,粒子で構成されている.陽子,中性子,電子はいずれも粒子である.一方,我々の宇宙に存在する粒子には,同じ質量,電気的に反対の性質を持つ反粒子もある.反物質は,この反粒子から構成されるものをいう.さて,宇宙初期には,粒子と反粒子が同量存在していたはずである.ビッグバン直後の高温高密度状態で,莫大なエネルギーは粒子反粒子ペアを生成し,またそのペアは対消滅してエネルギーとなるからである.しかし,その後,何らかの物理法則により,粒子と反粒子の量のバランスが崩れた.そして粒子反粒子ペアは対消滅し,エネルギーになる.結果,現在の宇宙は物質から成り立つ世界となっている.この「何らかの物理法則」が何か,はまだ解明されていない.多くの理論研究者が,この謎を説明できるシナリオを研究している.その中でも有力なシナリオの一つが,レプトン数生成(レプトジェネシス)というシナリオである.ここでは,物質と反物質の量が同量でなく非対称であることを,素粒子の一種レプトンを用いて説明している.このレプトンと反レプトンが同量でなく非対称になったから,現在の物質と反物質が非対称になった,とするものである.「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」は,レプトンと反レプトンが非対称になる条件(レプトン数保存則の破れ)を満たすときに起こりえて,かつ,現在の世界で観測できる事象である.さて,この「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」は1939年に提案された.当時は「物質優勢宇宙の謎」と関わりがあるとは考えられておらず,一つの非常に稀な原子核崩壊事象として研究された.この事象を観測するべく,鉱物中の元素の同位体比を測定する地球化学的観測が始まった.その後,放出される電子のエネルギー観測による測定も,原子核素粒子研究者によって試みられた.そして宇宙素粒子論の観点からも前述のレプトジェネシスが提案されることで,「レプトン数の破れ」を検証するこの事象の重要性が認識された.素粒子物理分野からも,この事象の観測によってニュートリノの質量の絶対値を得られることから,研究対象として重要視されてきた.このように,原子核研究から始まった二重ベータ崩壊測定は,素粒子研究,宇宙物理研究へ広がり,大きく進展した.日本でも,世界の二重ベータ崩壊測定を現在リードしている「キセノンを用いた二重ベータ崩壊実験」をはじめとして,次世代二重ベータ崩壊測定の研究が進められている.これまでに半減期の下限値として1026年程度の実験結果が得られており,さらに次世代実験計画では1028年の感度を実現できる見込みである.広い分野の研究者を虜にするこの「二重ベータ崩壊」.提案されて80年以上,未観測のままできているが,もうあと2–3年で観測されるか,遅くとも10年程度で観測される兆しが見つかるのではないか,と,今,さらに研究者の注目を集めている.