著者
梶原 洋一
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.128, no.4, pp.34-58, 2019 (Released:2021-08-26)

一三世紀以来ドミニコ会は大学と緊密な関係を保っていたが、一四世紀半ばはその転機となった。従来ごく限られた大学にしか設置されなかった神学部が各地で新設され、ドミニコ会士の学位取得が格段に容易になったためである。結果、適性に欠ける学位保持者や取得を巡る不祥事の増加に直面したドミニコ会は、修道士の学位取得を厳密かつ中央集権的に管理する体制を一五世紀を通じて構築した。本稿ではこうした新しい制度的環境における、ドミニコ会士による学位取得に関わる規範と実践の関係を解明することを試みた。このためアヴィニョン大学神学部に注目し、学位取得のための修道士の大学派遣を記した修道会総会の決議記録や総長の書簡記録簿といったドミニコ会史料と、アヴィニョン大学の会計簿を対照することで、学位取得を目指した修道士たちについてプロソポグラフィ的分析を行った。一五世紀末のアヴィニョン神学部は、北フランスに広がっていたフランス管区出身のドミニコ会士をとりわけ引きつけたが、アヴィニョンでの学位取得を修道会から命じられた修道士の多くが、より格式の高いパリ大学における取得を望み、この任命を辞退した。修道会が指定する派遣先に不満を抱いたとき、修道士たちは上層部と積極的に交渉し、より有利な任命を引き出そうとした。フランス管区の修道士たちにとってアヴィニョンでの学位取得は、必要な課業について大幅な免除が受けられるという意味において安易である反面、パリでの取得と比べれば魅力に欠けていた。しかし反対に、アヴィニョン修道院を包摂するプロヴァンス管区のドミニコ会士たちにとっては、重要な出世コースとして機能し、修業の期間も長期化した。地方大学が代表するこうした多面的な役割、修道会や地域の情勢に応じ揺れ動く一つの神学部に対する評価は、中世末期の社会ヒエラルキーの中に大学学位が深く埋め込まれていた証左である。