- 著者
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梶村 光郎
- 出版者
- 沖縄大学地域研究所
- 雑誌
- 地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
- 巻号頁・発行日
- no.23, pp.1-16, 2019-04
小論は、沖縄県内の小学校教育のお手本と目される沖縄県師範学校附属小学校が方言札を導入した1911年度を沖縄の方言札の歴史における一つの画期と見なし、それ以前の方言札の事例を調査し、1900年代以前にも方言札が存在したことと、その事実が意味することを考察するものである。考察の対象となる事例が19あることと、方言札の最も古い事例は1903年であるという「通説」を覆す、最も古い事例が1895年度・1896年度頃のものであることを明らかにした。また、1911年度以前の方言札の実態を回想・証言・第一次史料を用いて眺めてみると、時期がまちまちであり、地域も沖縄全県にまたがっており、札の形状も様々であることが確認できた。罰の内容も方言札を手渡されるだけですむ場合と、札を首に掲げられる場合があり、それに加えて立たされたり、掃除当番をさせられたり、修身の点を下げられたりするなどの罰があることが確認された。さらに、方言札は、教師の目が届かない時間や場所で、取り締まりの係や児童・生徒同士によって監視され、札を手渡されたりなどするものであった。そうしたことが日常的に行われていたが、特別に「方言札の日」を設定して行われたりしている場合もあった。方言札の学校への導入については、生徒間の取り決めに基づく事例(県立一中)を除けば、学校・教員側が主体となって行った事例ばかりだった。罰との関係で言えば、方言を使用した場合、①方言札を手渡される罰、②方言札を首にかけられる罰、③方言札とそれ以外の罰を課されること、④方言札をもち続けることに伴う制裁という形が見られた。一方、下級生がいじめを怖れ上級生に方言札を渡せないという事態も起こり、廃止された事例も見られた。その事実は、方言札の教育方法や教具としての欠陥を示すものであった。また、沖縄県師範学校附属小学校の標準語教育実践の例から見ると、この学校では、方言札の使用だけでなく、普通語と対照させた方言集を用意したり、談話会を設けて言語の練習をさせたりすることなど、標準語を正しく使用させるための取り組みや工夫があった。このことは、方言札だけで標準語の教育・励行・普及が図られるとは考えられていなかったことを示している。 以上のことを踏まえ、方言札の出現の時期や出自などの問題を検討し、方言札の出現には、方言を使用させないで標準語を話させようという学校・教員の強い意志が関係していること。その意味で、どの時点でも方言札は出現する可能性があることを指摘した。