著者
髙良 沙哉 Takara Sachika 沖縄大学人文学部福祉文化学科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.133-152, 2014-03

本稿は、裁判所が認定した「慰安所」内外における旧日本軍人による性暴力の被害事実を明らかにして、「慰安婦」訴訟の意義を示し、国家や国民が理解すべき旧日本軍による加害責任を再確認する。そして元「慰安婦」に対する、日本政府の戦後補償責任を追及する際の課題を判決に基づいて明らかにする。「慰安婦」訴訟で裁判所は、いわゆる「河野談話」に基づいて、「慰安婦」の徴集、「慰安所」の設置・管理における日本軍の関与、責任を認めた。また、各訴訟で認定された被害事実を検討すると、公文書に基づく吉見義明分類における、「純粋の慰安所」にも、統制のある「慰安所」と統制の曖昧な「慰安所」があることがわかり、また「慰安所」外における性的虐待の実態も明らかになった。そして「慰安所」内における性暴力の許容と促進が、「慰安所」外での性的虐待を誘発した様子も明らかになった。判決では、除斥期間や国家無答責の法理等の障害に阻まれ、被害者たちに対する戦後補償責任は認められなかった。戦後補償を行うには、日本政府、日本国民が加害の歴史に向き合うことが不可欠である。また、戦後補償を行う現憲法上の根拠を明確にし、国家無答責の法理等の障害をどのように超えるかが課題である。There are two objectives to this paper.1. The first purpose is to show the fact that sexual violence of the inside and the outside of the"comfort clubs" system was caused by the Japanese army. This paper also makes clear the meaning which the "comfort women" trials give. The Japanese government and Japanese people have to understand the Japanese army's responsibility for the sexual violence in the times of world warⅡ.2. The second purpose is to clarify the unsolved problems concerning the responsibilities of the Japanese government for the Compensation to the acts of sexual violence in the time of the world warⅡ.In the "comfort women" trials, the Japanese courts ascertained the participation and the responsibility of the Japanese army for the levy of the"comfort women", the management of the"comfort clubs"system. And the courts showed the two types of the "comfort clubs" in the "Just comfort clubs". The courts showed the another type of the victims,"sexual abuse". The Judgments also clarified that the sexual violence inside the "comfort clubs" caused the sexual abuse outside the "comfort clubs".The judgments rejected the responsibilities of the Japanese government for the Compensation to the acts of sexual violence in the time of the world warⅡ on the grounds of the deadline for the statutory exclusion, and of the principle of the national excuse of the responsibility.For the responsibilities of the Japanese government for the Compensation to the acts of the sexual violence in the time of the world warⅡ, the Japanese government and Japanese people have to learn the history of the sexual violence by the Japanese army. It is unsolved problems to clarify the constitutional grounds for the responsibilities in the time of the world warⅡ, and to overcome the deadline for the statutory exclusion and the principle of the national excuse of the responsibility.
著者
村田 真弓 工藤 歩 高木 博史
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.7, pp.115-131, 2010-03

2007年末の「社会福祉士及び介護福祉士法」の制定以来初めての改正にともない大幅なカリキュラムの改正が行われた。特に社会福祉士国家試験受験資格を取得するための前提となる相談援助実習においては、実習指導を担当する「相談援助実習指導者」及び養成校の教員に対して要件が課されることとなった。とくに、現場の相談援助実習指導者については社会福祉士の取得資格、相談援助の実務経験3年以上、さらに相談援助実習指導者講習会の受講が義務付けられるなど厳しい要件が課せられることとなった。本調査研究は、こうした社会福祉士養成に関わる現場が2012年度の完全施行を前に現状と今後の把握を行うために沖縄大学の2007年度以降の実習先にアンケートを行った。その結果、8割を超える回収率を得ることができ、現場のこの問題に対する関心の高さと人材確保に対する不安、さらには社会福祉士養成校と現場の連携の在り方を検討する上で重要な示唆を得ることができた。
著者
渡久山 幸功 Tokuyama Yukinori 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学非常勤講師
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.11, pp.17-34, 2013-03

ヴァーン・スナイダーが書いた沖縄を舞台にした小説『八月十五夜の茶屋』(1951年)は、ベストセラーになり、その後、戯作家ジョン・パトリックによって舞台化され、3年を超える超ロングランを記録し、後に映画化され大ヒットした。小論では、数少ない先行研究に概観、原作と翻案の比較、その当時の作品と関連する様々な文献(新聞記事、書評、作者自身のインタビュー等)を調査しながら、本作品の解明を試みた。この作品は映画のヒットによって、沖縄の人々の記憶に残っているが、この映画版と原作の小説には大きく異なる点がある。特に、主要人物の芸者(沖縄のジュリ)や沖縄人通訳者の扱い方である。スナイダーの原作では、主人公のアメリカ将校に現地沖縄人からのプレゼントとして芸者を二人用意しているが、これは映画と異なり、アメリカ人将校と芸者との恋愛関係を描いておらず、芸者のイメージの脱セクシャリティ化を企図している。つまり、沖縄文化や沖縄人の等身大の描写を心がけ、ステレオタイプ的な描写を極力抑えられているところに特徴がある。また、軍事植民地沖縄に対するアメリカ軍政府への提言として、東洋人の住民の幸福は欧米的なものではないことを認識することが重要であり、彼らの異文化・習慣を尊重し、アメリカ文化や価値観を温情的に押し付けることがないように示唆している。しかし、それは、単にクリスマスのサンタクロースの様にプレゼントを与えるだけではなく、現地民の自立を促し、真の意味での民主化を提言しているため、在沖米軍(占領政府)にとっては、容認できない「危険な」テキストになっている、と指摘した。
著者
渡久山 和史 Tokuyama Kazufumi 沖縄大学地域研究所特別研究員 那覇市役所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.11, pp.35-42, 2013-03

本稿の問いは、沖縄県においてなぜ那覇市に生活保護受給者が多い/増加しているのか、である。この問いを軸に、そこから見えてくる現在の沖縄の姿(の一面)を描写する。戦後沖縄は、「復帰前の基地依存から復帰後の行政依存へ。そして、その帰結としての生活世界の空洞化と構造的貧困」という歴史を辿った。我々は今後、生活世界を堅持したオルタナティブな沖縄を構想するべきである。
著者
梶村 光郎
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.23, pp.1-16, 2019-04

小論は、沖縄県内の小学校教育のお手本と目される沖縄県師範学校附属小学校が方言札を導入した1911年度を沖縄の方言札の歴史における一つの画期と見なし、それ以前の方言札の事例を調査し、1900年代以前にも方言札が存在したことと、その事実が意味することを考察するものである。考察の対象となる事例が19あることと、方言札の最も古い事例は1903年であるという「通説」を覆す、最も古い事例が1895年度・1896年度頃のものであることを明らかにした。また、1911年度以前の方言札の実態を回想・証言・第一次史料を用いて眺めてみると、時期がまちまちであり、地域も沖縄全県にまたがっており、札の形状も様々であることが確認できた。罰の内容も方言札を手渡されるだけですむ場合と、札を首に掲げられる場合があり、それに加えて立たされたり、掃除当番をさせられたり、修身の点を下げられたりするなどの罰があることが確認された。さらに、方言札は、教師の目が届かない時間や場所で、取り締まりの係や児童・生徒同士によって監視され、札を手渡されたりなどするものであった。そうしたことが日常的に行われていたが、特別に「方言札の日」を設定して行われたりしている場合もあった。方言札の学校への導入については、生徒間の取り決めに基づく事例(県立一中)を除けば、学校・教員側が主体となって行った事例ばかりだった。罰との関係で言えば、方言を使用した場合、①方言札を手渡される罰、②方言札を首にかけられる罰、③方言札とそれ以外の罰を課されること、④方言札をもち続けることに伴う制裁という形が見られた。一方、下級生がいじめを怖れ上級生に方言札を渡せないという事態も起こり、廃止された事例も見られた。その事実は、方言札の教育方法や教具としての欠陥を示すものであった。また、沖縄県師範学校附属小学校の標準語教育実践の例から見ると、この学校では、方言札の使用だけでなく、普通語と対照させた方言集を用意したり、談話会を設けて言語の練習をさせたりすることなど、標準語を正しく使用させるための取り組みや工夫があった。このことは、方言札だけで標準語の教育・励行・普及が図られるとは考えられていなかったことを示している。 以上のことを踏まえ、方言札の出現の時期や出自などの問題を検討し、方言札の出現には、方言を使用させないで標準語を話させようという学校・教員の強い意志が関係していること。その意味で、どの時点でも方言札は出現する可能性があることを指摘した。
著者
鈴木 陽子 すずき ようこ Suzuki Youko 沖縄大学大学院現代沖縄研究科 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄愛楽園交流会館研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-19, 2016-03

沖縄に設立されたハンセン病療養所、国頭愛楽園で、開園時に収容された患者が起こした事件を、入所者2集団と献身的な職員のそれぞれの主体性が絡み合ったものとしてとらえ、事件をめぐる、それぞれの集団の主体的な行動と集団間の関係を入所者の証言、園機関誌などから分析する。本稿は、沖縄に設立されたハンセン病療養所、国頭愛楽園(以下、愛楽園)開園時に収容された患者が起こした事件を、園内の3集団それぞれの主体性が絡み合ったものとしてとらえ、事件をめぐる、それぞれの集団の主体的な行動と集団間の関係を入所者の証言、園機関誌などから分析する。1938年に設立された愛楽園は患者自身が安心して暮らせる居場所を求めて設立した療養所を前身とし、献身的に職員は働いた。それにもかかわらず、1940年、開園時に収容された患者たちは、一心会事件とよばれる組織的なストライキを起こした。 結果、一心会を中心とする闘争では、療養所を求めた患者集団、献身的であろうとした職員集団、収容された患者集団がそれぞれに主体的に行動していたことが明らかになった。療養所の設立を求めて動いた患者集団は職員とともにより良い療養所を目指したが、それは入所者を抑圧し、管理することにもなった。これに対し、開園時に収容された患者集団は抵抗をしたが、隔離政策下、排除が過酷になる集落へ追放された。各集団の主体性の背後には、差別と抑圧の重層的な構造があることがあぶりだされ、その中で、3集団それぞれの、肯定的に生きることを求めた行動が絡み合ったことが考察された。
著者
仲地 清 なかち きよし Nakachi Kiyoshi 地域研究所客員研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional study (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.16, pp.179-189, 2015-09

第二次大戦後、設立された国際連合の役割は平和維持、人権保障、民族自決権確立などで、それらは国連憲章、世界人権宣言の中に規定されている。戦後続いた米軍統治下の沖縄では人権、自治権は限られていた。沖縄の人々にとって国連憲章と国連決議が、人権、自治権拡大運動のより処であった。論文は戦後から現在まで、沖縄の人々はどのように国連を活用してきたかを、歴史的に概観し、特に、「植民地付与宣言」に基いた「2・1 立法院決議」、さらに最近の「人権」「自己決定権」の視点から「先住民族琉球民族」の実態を国連委員会に報告する運動を分析して、沖縄と国連の関係の特質を明らかにする。The task of the United Nations is to keep peace, protect human rights and expand autonomy.The Charter of the United Nations and the Universal Declaration of Human Rights are broadly recognized standards to achieve these goals. Okinawa was under the US military government from 1945 to 1972. Even after the 1972 reversion of Okinawa, it was the location of a large presence of US military and Japanese Defense Forces. In such a social and political environment, human rights and autonomy were limited by the US and Japanese governments. The purpose of the paper is to examine how Okinawans have applied the goals andfunctions of the United Nations to promote social and political movement from 1945 to today. Furthermore, the paper attempts, using the case of Okinawa, to redefine the role of the UN today, especially in light of the current perception of its decreased role and influence.
著者
緒方 修
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.9, pp.63-69, 2012-03

沖縄は日本の人口のわずか1% (137万人)が住む最南端の島々である。そこに世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(2000年登録)がある。琉球王国はかつて東アジア世界と独自の交易を繰り広げた。その文化的・精神的影響は今に及んでいる。音楽や踊り、空手、衣服や焼物など独特の発展を遂げてきた。2010年には「組踊」がユネスコより無形文化遺産に登録された。講座「沖縄・世界遺産巡り」は、3年前から始まった集中講義である。タイトルの「巡り」には「巡礼」の意味を込めている。沖縄の世界遺産は9地域に散在している。北部が4カ所の城(グスク)、南部が首里城および近くの遺跡合わせて3カ所、および識名園(庭園)と斎場御嶽である。遠隔講義として約4時間の教材を作成した。学生はその講義をインターネット経由で見た後、教室での講義、そして各遺跡への視察と続く。講義が約4日、現地視察は最低でも3日間かかる。講師はオムニバスで世界遺産登録に直接携わった考古学者が中心だ。講座の背景となる文化について述べる。15世紀頃に始まった東御廻り(アガリウマーイ=東を廻る)は「巡礼」の始まりと言っても良いだろう。「朝の太陽は東の太陽の穴から出て、<太陽の道>を昇り、昼には天頂に達し、午後は太陽の道を下って西の穴に入る」これは東アジアの山地民の宇宙観だ。同じように古代の沖縄人は、太陽が昇る東の海の彼方に<ニライカナイ>という楽土がある、と考えた。太陽神への信仰だ。沖縄南部の東にある久高島こそ、ニライカナイに最も近い島ではないか。そう信じた歴代の琉球国王も島へ渡って祈った。沖縄本島で久高島に最も近い霊場が斎場御嶽(セーファーウタキ)である。現在では世界遺産の一つに登録されている。ここは琉球国第一の聖地として聞得大君(キコエオオキミ=国王の姉妹で最高の神女)が参拝し、さらに近隣の聖地を巡った。これらの場所には湧水や大木、川や岩がある。原初の信仰であるアニミズムに近い。ある所には水が湧き出し稲が育っている。そこは鶴が稲穂をくちばしにくわえて飛んできて落としたとされている。稲作の始まりと言い伝えられている土地だ。東南アジアにも同じような伝説がある。稲作がしやすいモンスーン地帯に共通する話だろう。久高島や沖縄南部には野生の稲が生えていた。最初に沖縄に漂着した人々はきれいな水が湧き出し、そしておそらくは野生の稲や果物が溢れていたこの土地に定着したのだろう。Okinawa was historically an independent nation called the Ryukyu Kingdom before 1879, which advocated proudly strong political, economic and cultural ties with China and Asian Continent. People in Okinawa, descendants of the Ryukyu Kingdom, have maintained its spirit. They have fostered its traditional music, dance, Karate, clothes, pottery and so on as outstanding culture. The World Heritage of the "Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu" certified by UNESCO in 2000 and the Intangible Cultural Heritage of Humanity Kumiodori, traditional Okinawan musical theater, in 2010 are one of those regional properties developed through historical background of Okinawa prefecture. People in Okinawa have been confronted with political injustice for a long time. It may be a means of their living to cherish their own history and culture against such situation. The utilization of the World Heritage as regional properties could be a way to the approach toward regional revitalization. Okinawa University affirms its new declaration of the philosophy in the 50th anniversary of establishment in 2008, called "Advancing toward a future with local community". As the commits to pursuing the philosophy, the university offers several forums to students and citizens, such as "World Heritage Tour in Okinawa".
著者
浜川 智久仁
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.7, pp.139-143, 2010-03
著者
奥田 夏樹 Okuda Natsuki
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.3, pp.83-116, 2007-03-31

日本では1990年頃から、伝統文化や自然環境の保全、環境教育等の効果を持つ観光であるとされるエコツーリズム等、新しいタイプの自然体験型観光が、各地で積極的な導入が進められており、2000年頃より産業として急速に発展している。エコツーリズムの最大の特徴はガイドを伴うことであり、これによって以前は一定の努力や技能が必要であった良質な自然へのアクセスが容易になることは自然環境保全上大きな懸念材料である。本研究では、ガイドツアーブーム以降、急速に大衆化が進んだ結果、特に自然環境保全上、多くの問題を引き起こしつつある沖縄県西表島のエコツーリズム(自然体験型ガイドツアー)に注目し、その現状を現地調査およびインタビュー等により明らかにし、問題点を抽出した。現地調査は、西表島における自然体験型ガイドツアーによる入域が最も多いと推定される、ヒナイ川流域を含む、複数の地域で実施した。エコツーリズム問題の背景について学際的な視点から議論し、善後策の提案を行なった。エコツーリズムは発展途上国では、現金収入手段が限られる地域における森林伐採→観光への産業転換などで、自然環境保全上も評価できる例も見られる。だが日本では、新たな観光産業ニッチの創出による、新しいタイプの自然破壊要因として機能している側面が強く、さらに地域出身者が携わるケースは稀であり、地域からの収奪と地域アイデンティティの破壊の側面が強いことから、今後エコツーリズムは制限あるいは禁止するべきであると考えられた。 During recent years ecotourism has spread fast in Japan. Such tourism is now causing a threat to the environment. Preliminary surveys have revealed many examples of human impact on the environment. Such cases are probably derived from the absence of reasonable designs for the application of ecotourism in the target areas. Field studies were conducted during three seasons (Aug 2005, Nov 2005, and Mar 2006) in Iriomote Island, Okinawa, Japan. The areas used by tourist companies for guided nature tours and where human impact is seen were identified, and guides and local inhabitants were interviewed. Evaluation of the programs for environmental education included in the ecotours was conducted by joining tours. Many examples of human impact that could cause disruption of the environment were found. It might not be appropriate for all tour programs to usefully act as agencies of environmental education. Interdisciplinary discussion produced recommendations for conservation. The design of ecotourism may need to be completely changed to fit the social conditions of advanced countries such as Japan, since ecotourism was originally aimed to fit the socio-economic conditions of developing countries. The current practices of ecotourism in Japan are unlikely to offer trade off for those natural ecosystems which remain largely intact. This is because, compared with the local communities' traditional ways of getting access to natural resources, the practices of ecotourism in those areas will cause more damage to the ecosystem. Therefore, ecotourism in Japan should be limited or restricted in order to conserve the regional environment and traditional culture that give a region its cultural identity.
著者
黒沼 善博
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.16, pp.81-102, 2015-09

地下水の貯水技術である地下ダムの歴史は古い。その源流は、アフリカや中近東における灌漑排水のための古来の貯水技術に遡る。さらに地下ダムの近代技術は、沖縄を中心としたわが国の島嶼圏において発展してきた。それは農業用水など、水資源の安定的な確保を望む地域に適用すべく、技術改良が行われてきた進化の歴史でもあった。
著者
長谷川 曾乃江
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.2, pp.237-243, 2006-03-31

2004年に実施した渡嘉敷島の2集落(渡嘉敷及び阿波連)での民俗調査結果を整理し、年中行事(集落全体で行うもの)の実際と聖地(ウタキ及び拝所)の現状を、『渡嘉敷村史』の記述と比較しながらまとめた。
著者
渡久山 和史
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.11, pp.35-42, 2013-03

本稿の問いは、沖縄県においてなぜ那覇市に生活保護受給者が多い/増加しているのか、である。この問いを軸に、そこから見えてくる現在の沖縄の姿(の一面)を描写する。戦後沖縄は、「復帰前の基地依存から復帰後の行政依存へ。そして、その帰結としての生活世界の空洞化と構造的貧困」という歴史を辿った。我々は今後、生活世界を堅持したオルタナティブな沖縄を構想するべきである。
著者
小川 竹一
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.1, pp.9-30, 2005-06-30

本件は、金武町金武区において、入会権を有していた者の女子孫が入会団体(金武部落民会)から入会権を認められないことに対して、入会権の確認を求めると同時に入会地が米軍用地になっていることから生じている賃貸料の配分を求めて訴訟を提起した事件である。金武区の部落住民は、琉球王府時代から杣山を維持管理し、山林の利用権が認められていた。明治32年に沖縄県土地整理法によって、これらの山林が官有とされたが、明治39年に地元部落に30年年賦で払い下げられた。一旦、部落所有山林となったが、大正時代から国策として進められた「部落有林野統一事業」により、昭和8年ころ無償で金武村有となった。そのとき村と区の統一条件として、林野の収益を区6村4で配分するほか、部落が従来通り山林を利用するなど、部落が地役的入会権を留保することになった。入会権は、民法において共有の性質を有する入会権(294条)と地役権の性質を有する入会権(263条)が規定されているが、相違は、土地の所有権が入会集団に帰属するか否かであり、土地の用益内容については違いはない。権利内容は基本的に「地方の慣習に従う」とされている。入会権は、部落に基礎を置く入会集団の統制のもとに一定の土地を共同で管理し利用する権利である。入会集団が土地所有権を有しない場合が地役権的入会権である。入会地の利用方法は、入会集団の決定によって定まる。入会集団の統制の元に共同で利用したり、その決定によって、構成員が分割して利用したりすることもある。また、第三者に賃貸して収益を得ることもあり、また利用を行わずに保全を行うことも含まれる。入会権者の範囲は慣習によって定まるが、本件部落民会は、会則で女子孫排除原則を定めている。このような慣習が存在したのか、あるいは存在したとしても公序良俗に反する慣習であって無効であるということが法律上の争点である。第1審では、入会慣習に触れることなく会則が男女差別を行っていることから公序良俗違反として原告女子孫の請求を認めたが、第2審では、女子孫を排除する慣習が存在し慣習を尊重するとして原告が敗訴し、原告女子孫側が上告した。会則が定める資格基準は、沖縄の門中集団に見られる祭祀継承の慣行であるトートーメー継承の禁忌に基づいている。しかし、ある世帯が部落の構成員として認められるか、すなわち入会集団権者資格に関わる慣習とは次元が異なる問題である。本件は、入会権慣習とは関係の無いトートーメー慣行が軍用地料配分をめぐって再編されて利用されたことから生じたのであり、沖縄社会に根深くある女性差別と新たな社会問題である軍用地料問題が、複合して現れている問題である。不労所得である軍用地料が勤労意欲の低下を引き起こしたり、地域の中で不公平感を生じさせたりするなどの地域問題を引き起こしている。本件訴訟の原告女性らが提起した問題は、巨額の軍用地料の配分のあり方や米軍用地からの開放された後の利用の仕方という長期的な展望に立って、地域資源の管理のあり方を考えなければならないことを明らかにした。
著者
与那覇 晶子
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.1, pp.55-67, 2005-06-30

第3回沖縄市戯曲大賞受賞作品『カフェ・ライカム』は、上里和美の初戯曲で、2000年11月、沖縄市民小劇場「あしぴな-」で初演、また翌年7月「県立郷士劇場」で再演された。上里はこの戯曲を通して、戦後沖縄をたくましく生き抜いてきた沖縄の女・夏子を中心に沖縄の戦後を抉り取って見せる。その特筆すべき点は、戦争中日本人隊長にレイプされた夏子の過去が、皮肉にも、夏子にプロポーズし、朝鮮戦争で記憶を失った報道カメラマン・ハイマンの撮った写真と「記憶の想起」によって明らかになる劇構造である。またメタシアターの要素がちりばめられたことばの面白さも含め、クレオール化する沖縄、変わることのないキーストーン沖縄の姿が立ち現れる。この論稿では、「戦争、女、記憶」というモチーフ/文脈の中で『カフェ・ライカム』を位置づけ、この作品の意義を明らかにしたい。そのため沖縄の劇作家・知念正真の『人類館』(第26回岸田戯曲賞受賞)およびイタリアのノーベル賞受賞作家・ピランデルロの『未知の女』を通して、これらのモチーフに関する類似と差異を検討し、その上でとりわけ記憶というモチーフが作劇上どのように機能したかを論じた。War comes up in plays even after a half century has passed since the calamity of the Battle of Okinawa. It appears as if Okinawans are trying to reall their tragic memories of the war over and over again. There are two distinctive characteristics of modern Okinawan plays. The first characteristics is that women play central roles in war plays. The second is that themes of the plays are also related to Okinawa's socio-political sphere; specifically the huge U.S. military bases that have stationed in Okinawa, making it the key stone of the Pacific. The play 'CAFE RYCOM' which won an Okinawa City Play Award in 2000, displays the above two characteristics. The play was written by Kazumi Uezato, a dentist and a political activist, and was directed by Kyoko Teruya on November 3rd and 4th 2000 in the the "Ashibina-" theatre, and reproduced in 2001. The majority of the audience appreciated it well as the play displayed what many Okinawans experienced during and after the war. The play covers World War 2, the Korean War, and the Vietnam War. Its long span of time shows the position of Okinawa caught between the U.S. and Japan. The U.S. occupation of Okinawa which lasted for 27 years from 1945 to reversion to Japan in 1972 ironically indicates Okinawa's geo-political importance and the eventual pressure applied to Okinawans. The main story of the play is focused on the love story of an Okinawan woman, Natuko, who was a nurse working for the Japanese military, but who was actually raped and treated as a sort of comfort woman by a Japanese captain during the land Battle of Okinawa. After the war, she falls in love with an American war photographer, Highman, at CAFE RYCOM. However, Highman's loss of memory in the Korean War forced them to separate for 18 years, during which time she gives birth to a boy and raises him while working as a dancer and singer. At CAFE RYCOM, some women supposedly sell their bodies while raising their children. This shows the multiple gender of Okinawan women.
著者
仲宗根 京子 Nakasone Kyoko 沖縄大学地域研究所 沖縄大学法経学部 中央大学大学院法学研究科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.12, pp.89-95, 2013-09

沖縄海洋博は県民の期待を背負っていたが、出端を挫くように開業間もなく「モトブシーサイドプラザ」が破綻した。債権回収の為に運営に乗り出した建設業者らと、前渡金を払っていた旅行業者との法廷バトルで展開された法律議論(中でも債務引受広告の意義)をめぐる判例規範の形成は、38年経った現在にも通用する先駆的なものであった。本稿では、その古そうに見えて実は色あせていない判例に再びスポットを当てたい。
著者
島村 聡 金城 隆一 鈴木 友一郎 稲垣 暁 しまむら さとる きんじょう たかかず すずき ゆういちろう いながき さとる Shimamura Satoru Kinjyo Takakazu Suzuki Yuichiro Inagaki Satoru 沖縄大学人文学部 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.24, pp.51-62, 2019-10

沖縄本島中南部にある5か所の子どもの居場所等の職員、および、当該居場所を管轄する自治体の担当課の職員に居場所運営についてのインタビューを実施したところ、居場所は自身持つ指向から活動型と支援型に分かれ、行政のスタンスから地域型と機関型に分かれることが判明した。行政におかれた子どもに貧困対策支援員は、位置づけの曖昧さから、これらの居場所のネットワーク拡大には寄与できていない。
著者
チャンドララール ディリープ 後藤 亜樹 Dileep Chandralal Goto Aki 沖縄大学人文学部 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.17, pp.73-87, 2016-03

沖縄スリランカ友好協会により企画・実施された「スリランカ命の水プロジェクト」が2年間の月日を経て完了した。これまで、なぜ、バルンガラ村に水道設備が設置されなかったのか、村の人々の経済事情、生活はどのような状態であるかを明らかにするためインタビュー調査を実施し、記録した。
著者
川﨑 和治 かわさき かずはる Kawasaki Kazuharu 沖縄大学地域研究所所員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional study (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.15, pp.99-110, 2015-03

沖縄本島において生じた自動二輪車と原動機付き自転車の衝突事故により、重傷を負った原動機付き自転車の運転手が、加害者に請求した損害賠償訴訟に関する判例研究である。那覇地裁が認定した事実を福岡高裁那覇支部は、より詳細に検討し、合理的な推認方法により加害者の100%過失を認め、被害者に過失相殺を課すことを否定した。後遺障害逸失利益の計算において、医学部2年生にもかかわらず、医師の平均賃金を基礎収入として計算、また、自賠責保険金が支払われるまでの期間に対する遅延損害金を認めている。本稿が「交通事故 うまんちゅで築く 美ら島2014」を年間ソローガンとして掲げる沖縄県の交通事故減少に参考になればと願っている。