著者
近藤 健一郎 梶村 光郎 藤澤 健一 梶村 光郎 藤澤 健一 三島 わかな
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

本研究は以下の諸点において従来の近代沖縄教育史研究を発展させた。第一に標準語教育実践に関して、方言札の出現時期とその歴史的意義、また発音矯正が全県的な教育課題となる契機と過程を明らかにした。第二に宮良長包に関して、沖縄の音楽教師の系譜の中に位置づけ、また彼の作詞作曲した「発音唱歌」(1919年)の教育実践上の特質を明らかにした。第三に沖縄県初等教育研究会の討議内容を通史的に明らかにした。さらに、沖縄県教育会機関誌『沖縄教育』(1906~1944年)の悉皆的な収集においても成果を収めた。
著者
近藤 健一郎
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

1、沖縄県内の小学校が刊行した学校記念誌に掲載された回想記録や座談会記録を資料として、近代沖縄における方言札の実態について調査研究を行った。明らかにできた点は以下の通り(報告書第2章)。(1)沖縄全体としてみれば、1900年代前半以降のあらゆる時期に方言札が存在していたことが確かめられた。この事実はこれまでの研究に対して次のような修正を迫るものである。第一に方言札の登場がこれまで考えられていた1900年代後半よりも若干古く1900年代前半であること。第二に方言札が「下火」になってきたと考えられていた1920〜30年代にかけても、多くの小学校に方言札が存在していたこと。(2)方言札は、児童の相互監視と罰を基本的な特徴としつつも、学校ごとに適用範囲や導入方法などに違いが存在した。そして児童は方言札を免れようと、また渡されないようにと、弱い児童にむりやり沖縄言葉を話させるなどの対応をしていた。2、小学校における国語科設置など日清戦争後の「国語」確立に向けた政策を展開するなかで、文部省が沖縄県用に編纂した『沖縄県用尋常小学読本』(1897〜1904年度使用)を用いた教育実践とその論理について考察した。その際、沖縄県私立教育会機関誌『琉球教育』に掲載された教育実践記録や教育論、言語論を主要な史料として用いた。分析の結果、1900年頃を境として、標準語教育の方法は、沖縄言葉を媒介としたものから沖縄言葉を最小限にとどめ主として標準語に依ったものへと移行しようとしており、標準語教育は沖縄言葉の排除を伴っていたことを明らかにした(報告書第1章)。