著者
森本 道孝
出版者
近畿大学経済学会
雑誌
生駒経済論叢 (ISSN:13488686)
巻号頁・発行日
vol.8, no.3, pp.147-164, 2011-03

[概要] 本稿では, 現代アメリカ劇作家サム・シェパードの『埋められた子供』と, デイビッド・ヘンリー・ホワンの『家族礼拝』に登場する男たちが, ガラスなどの表面に自身の祖先の姿を幻視することの意味を, 彼らがアイデンティティに不安を感じており, 自身のルーツをたどろうとしている証だととらえ, 考察する。また, これら二つの劇の共通性や, 白人とアジア系という出自の違う二人の作家間の影響関係についても考える。[Abstract] The purpose of this paper is to examine the male characters in Sam Shepard's Buried Child and David Henry Hwang's Family Devotions. Since they have some anxiety about their own identities, they are haunted by the illusions of their own ancestors which are shown on the surface of the glass. They try to trace their own roots in order to relieve their anxieties. We see a similarity between these two plays and examine whether Shepard, a great white hope, had an influence on Hwang, an Asian American.
著者
森本 道孝
出版者
近畿大学英語研究会
雑誌
Kinki University English Journal = 近畿大学 英語研究会 紀要 (ISSN:18827071)
巻号頁・発行日
no.5, pp.67-78, 2010-01-01

サム・シェパードの『地獄の神」のラストシーンでは、エマがただ一人舞台に残り、家に起こった危機を夫に知らせるためにポーチのベルを鳴らす。彼女の意思に反し、家の中はウェルチによってアメリカへの愛国心を示すもので満たされていくが、これはアメリカ国民が知らぬうちに愛国心を強要されている状況をも示す。この劇のタイトルはプルトニウムの語源である地獄神プルートを示すが、この物質の持つ見えざる浸透力はアメリカ国民に蔓延しているアメリカ国家の持つ力への盲目的な信念の忠実なメタファーとなっている。作中でヘインズが言うように、個人と国家の問題の境界は消失し、エマのベルはアメリカ国民の現状への警鐘の役目を担っている。これらの点から、この劇をもってシェパードがより視野を広げ、政治的視点をこれまでより明確に示していることを指摘したい。近畿大学非常勤講師
著者
森本 道孝
出版者
近畿大学英語研究会
雑誌
Kinki University English Journal (ISSN:18827071)
巻号頁・発行日
no.5, pp.67-78, 2010-01

近畿大学非常勤講師サム・シェパードの『地獄の神」のラストシーンでは、エマがただ一人舞台に残り、家に起こった危機を夫に知らせるためにポーチのベルを鳴らす。彼女の意思に反し、家の中はウェルチによってアメリカへの愛国心を示すもので満たされていくが、これはアメリカ国民が知らぬうちに愛国心を強要されている状況をも示す。この劇のタイトルはプルトニウムの語源である地獄神プルートを示すが、この物質の持つ見えざる浸透力はアメリカ国民に蔓延しているアメリカ国家の持つ力への盲目的な信念の忠実なメタファーとなっている。作中でヘインズが言うように、個人と国家の問題の境界は消失し、エマのベルはアメリカ国民の現状への警鐘の役目を担っている。これらの点から、この劇をもってシェパードがより視野を広げ、政治的視点をこれまでより明確に示していることを指摘したい。