- 著者
-
植松 喜稔
- 出版者
- 環境技術学会
- 雑誌
- 環境技術 (ISSN:03889459)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, no.11, pp.777-797, 1974-11-18 (Released:2010-03-18)
ここに述べた諸項は詳細にわたるものではなく, 一つの考え方を提示したに過ぎず, 隔靴掻痒の感を免がれない.研究, 実験活動の複雑多様性に鑑み, その発生廃液処理を単純, 一義的に定立することは不可能に近い.廃液処理方法は収集サイドから考え, また処理装置が決定されればその運転サイドから収集方式が再検討され, より合理的なシステムに収斂してゆくべき性格のものであろう.すなわち, 研究所の性格に応じて, さらに個個の実験室の実態に応じて, それぞれのケースについて, あるいは追試を行ない, あるいは新しい観点に立って開発を行ない, 最良の方式を編み出してゆく必要があろう.収集方式はもっとも収集が容易で, かつ, 何びとも面倒がらずに, またたとえ善意であっても全く遣漏のないようなシステムを確立すべきである.処理において集中方式, 中間的なグループ処理, 実験室ごとの個別処理が考えられ, いずれの方式を個々の研究所に定着させるかは, その性格によって異なろう.しかし, 前二者の方式においても特殊な物質を含む廃液は前処理によって予め対象外の成分, あるいは処理の障害となる成分を除くか, 個別処理に委ねるかしかない.処理対象を無限に拡大することは不可能だからである.所詮, 大がかりな装置よりも小回りのきく, より多くのカテゴリー別に分割された共通の中間的なもので, 例えば可搬式のものをいくつか備えた方が好ましい場合もある.いずれにせよ最終的には廃水の集中処理装置を必要とすることは論を俟たない.ここでは収集方式と物質別の個別処理方法を重点に述べたが, すでに指摘したように類似の性質をもつ有害な化合物群, または類似の方法についての単なる処理指針にすぎない.したがってあらゆる化合物, あるいはいくつかの混在成分の完全処理は期し難い.むしろ物質の性状を熟知している研究者が発想を駆使してそれらの物質の完全分解, あるいは安定な形態へ変える方法を考案することが望ましい.究極的にはもっとも体積が小さく, かつ飛散, 拡散の恐れの少ない, 水不溶性で, かつ安定な形態に移行せしめればよい.結局, 無機性のスラッジとなるわけであるが, これらは廃棄物処理システムが確立されるまで, 個々の実験室ないし研究所において集積厳重に保管せざるを得ない現状である.可溶性塩類およびそれらの溶液は低害性ないしほとんど無害ではあるが, 環境汚染防止の立場から, また, 用水処理におけるそれらの除去の困難性から淡水域へ放出しないことが好ましい.研究所全体の塩類使用量が僅少であれば, あえて問題とするには当たらない場合もあろう.実験廃液の収集, 処理は, 排水の排出基準ないし環境水域の基準を遵守するためではなく, より積極的に水域に一切有害物質を放出しないという思想によって貫かれていなければならない.すなわち収集という行動自体が研究従事者の倫理観として定立されなければならない.処理を経た後にも, なお水は処理水として厳然として存在する.一切排出しない建前である以上, 排出すべき処理水の水質を調べ, 安全を確認した上で廃水処理装置ないし下水道へ放流すべきは当然である.とくに水域へ直接放出される場合には入念な水質監視が必要である.また, モニターされない成分については厳重な注意を注ぐべきであろう.水分析は専門従事者以外のものにとっては複雑多様で手間がかかり, 時間浪費型であるばかりでなく, 時に判断に間達いを犯しやすい.恐らく自己の目的とする実験ほど積極的に, 入念には分析をやらないだろう.そこで簡易分析の導入, 自動モニターの設置が必要となるのである.