著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.53-70, 2009-09-15

跡見玉枝は本学の学祖跡見花蹊の従妹にあたり、明治・大正・昭和初期にかけて活躍した桜の画家である。その生涯は、玉枝自身の晩年の回想と学園の一次資料である『跡見花蹊日記』からたどりみることができる。玉枝は少女時代に花蹊の許に身を寄せた一時期があり、花蹊の身近に暮らした縁で姉小路家に出入りするようになる。それは、姉小路良子を中心とした公家文化に親しくふれ得た日々であった。また、日記や残された書簡から、桜の師宮崎玉緒と花蹊に交流があることが知られ、さらには玉緒の仕えた主君と花蹊の間にも親交が認められる。若き日の玉枝は、花蹊の豊かな人脈に支えられてあることがうかがえるのである。
著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.73-93, 2002-03-15

『源氏物語』には多くの催馬楽がとりこまれることについては、すでに諸先学の指摘があり、論者じしんもかつて検討を試みたことがある。なかでも第三部の物語では催馬楽が巻名にもなっており、とりわけ浮舟の物語との関わりは深い。ここでは、この浮舟の物語と催馬楽「道の口」をとりあげて考察を試みる。『源氏物語』で、明らかに「道の口」がみられる部分は浮舟巻にあり、手習巻にもそうではないかと指摘されてきた部分がある。それらの叙述をいま一度たどり、検討し直してみれば、やはり、両巻の当該場面は催馬楽の詞章をふまえた描写であると確認される。歌謡としての「道の口」の詞章を、時代背景をも視野に入れつつたどりみるならば、それは遊女を謡ったものであると考えられる。その遊女性が浮舟の物語に掬いあげられているのではないか。浮舟の造型には遊女性が付与され、場面にもそれが及んでいるのではないかという試案を提示するのが、本稿の目的である。
著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.75-91, 2003-03-15

『源氏物語』にみられるさまざまな後宮の殿舎は,単に宮廷の風景としてあるのではなく,物語世界独自の場として描かれている。そのうち,淑景舎=桐壼,飛香舎=藤壺については,これまでに考察を試みた。本稿では,それらをふまえて,凝華舎=梅壺の場合について検討してみる。凝華舎は,物語中では「梅壺」と表されている。物語にみられる「梅壺」には,弘徽殿大后の局,梅壺女御という呼称から明らかになるその居所,明石中宮腹の二の宮の御曹司という,三つの場がある。それらの描写は,一見,唐突に出てくるように感じられるが,『源氏物語』の殿舎の使われ方を思い起こしても,やはり物語の側の要請から,描かれるとみる方が自然であろう。前編前々稿で検討してきたように,史実における後宮の殿舎は,男性たちにも使用される場である。凝華舎は東宮と関わりが深く,儀式の場ともなる。一方,「梅壺女御」と呼ばれた詮子の存在感も強く漂う場であった。そうした史実からのイメージを見据えつつ,物語世界の人々が実際に住んだ場であることを考えてみると,物語世界の梅壼も,それぞれの人物たちをとりまく縁により所有され,政権にも見合う場として想定されていると考えられる。