著者
樫下 達也
出版者
日本音楽教育学会
雑誌
音楽教育学 (ISSN:02896907)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.1-12, 2015 (Released:2017-03-22)
参考文献数
42
被引用文献数
1

本稿は, 戦後の教育用楽器の生産確保, およびその品質保証がどのように行なわれたのかを, 文部省と商工省 (1949年に通商産業省に改組), 大蔵省の各官庁と楽器産業界の動句に着目し, 明らかにしたものである。戦後, 器楽教育が全国規模で行われることになると, 文部省と楽器産業界は商工省に働きかけて楽器の資材を獲得し, 大蔵省からは楽器の物品税免税措置を得た。楽器が「教育用品」としての公益性を獲得することにより, 終戦直後の物資不足に喘ぐ楽器産業界は復興と発展の道筋を得た。また, 文部省は教育用楽器の品質を保証するために製品規格の制定と部品の標準化を進めた。部品の標準化は, 廉価でありながら品質が維持された製品を大量生産することを可能にした。戦後器楽教育の実施方針が打ち出された当初から, 楽器産業界は行政側の様々な施策のもとに発展し, 恵まれた物的環境をわが国の音楽教育の場にもたらしたのである。
著者
樫下 達也
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.13-24, 2013-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
28

本稿は、1930年前後のハーモニカ音楽界の状況を、1937(昭和12)年の東京市小学校ハーモニカ音楽指導研究会(東ハ音研)とその上部組織である全日本ハーモニカ連盟(全ハ連)に焦点を当てて明らかにし、小学校へのハーモニカ導入史の一断面を解明することを目的とする。具体的には、当時のハーモニカ界がおかれていた状況を如実に表す事象として、全ハ連の設立と、日本演奏家連盟との間で起った「ハーモニカは玩具か?」騒動に着目した。そして、どのような社会的音楽状況の下で全ハ連が東ハ音研を設立するに至ったのかを考察した。1930年以降に小学校にハーモニカ音楽が導入されるようになった背景には、学校現場からの内的な動機や要求だけでなく、「ハーモニカは玩具か?」騒動に象徴されるハーモニカ界全体の停滞的状況や、これを打開しようとするハーモニカ界の人々や楽器メーカーの思惑という学校外の音楽状況の存在が明らかとなった。