著者
寺内 大輔
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.55-72, 2017-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
58

本稿は、アメリカの音楽家、ジョン・ゾーン(John Zorn 1953— )の代表作《コブラ(Cobra)》(1984)を対象とし、その演奏行為に内在する〈ゲーム〉としての特質を考察する論文である。まず、〈ゲーム〉としての特質が内在する音楽のなかで、《コブラ》以前にゾーン以外の作曲家によって作られた諸作品が持っていた特質を振り返る。次に、《コブラ》における奏者間のやり取りに着目した検討を行い、演奏の進行を司る〈プロンプター〉が〈ゲーム〉を活性化させるためにトリックスターとしての性格を有していることを指摘し、また演奏者相互のやり取りが流動的な関係性のなかで 展開していることを論じる。それをふまえ、《コブラ》の演奏行為に含まれる〈ゲーム〉としての特質を 4 つの視点で考察 する。最後に、〈ゲーム〉としての《コブラ》が多様な側面を持っていること自体が、前述の《コブラ》以前に作られた諸作品には見られなかった特質―面白さを生み出したと結論づける。
著者
河本 洋一
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.33-52, 2019-11-30 (Released:2020-11-30)
参考文献数
46

人間の音声を駆使した “ヒューマンビートボックス” という新たな音楽表現は日進月歩の発展をみせており、海外では愛好者のコミュニティや研究者らの間で、活発な議論が展開されている。一方、日本では技術面への関心は高いものの、 概念形成に関する議論は不足しており、その拠り所となる日本語の資料が必要であった。 そこで本稿は、世界最大の愛好者コミュニティの様々な論考や世界初の解説書などが示す内容に、国内外の “ビートボクサー” と呼ばれる演奏者らへの聞き取り調査の結果を加え、ヒューマンビートボックスの歴史的背景や音楽表現としての様々な特徴や可能性を整理した。その結果、日本におけるヒューマンビートボックスの捉え方と世界的な流れにはずれがあったことや、ビートボクサーAfra(本名:藤岡章)が世界と日本との架け橋となり、日本におけるこの音楽表現の発展に大きく貢献したことなどが明らかとなった。
著者
飯村 諭吉
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-12, 2021-11-30 (Released:2022-11-30)
参考文献数
41

本稿の目的は、昭和初期におけるヨハネス・ブラームスの交響曲の紹介方法について、新交響楽団の機関紙における曲目解説に着目して明らかにすることである。ここでは、新交響楽団の機関紙『曲目と解説』、『フィルハーモニー・パンフレット』、『音楽雑誌フィルハーモニー』、『日本交響楽団誌』を主史料として使用した。これらの調査から、ブラームスの交響曲の曲目解説は、牛山充、堀内敬三、服部龍太郎、門馬直衛、属啓成らの音楽評論家が執筆を担当していることが確認された。また、《交響曲第2 番》から《交響曲第4 番》までの曲目解説においては、それぞれの主題に対応する管弦楽器の旋律的な動きとそれを担当する伴奏楽器の特徴的な動きが紹介されていた。新交響楽団の機関紙における曲目解説は、定期公演の聴衆に各楽章の演奏順序を提示するだけではなく、楽曲分析に基づく管弦楽の演奏上の基礎的な知識を提供していることが注目される。
著者
後藤 丹
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.49-66, 2010-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
13

岡野貞一(1878 〜 1941)はいわゆる文部省唱歌の代表的な作曲家とされている。しかし、『尋常小學唱歌』中のどの歌の作曲に関わったかについては不明な部分が多い。 本稿では、まず、「合議制」による『尋常小學唱歌』の制作の過程を、近年になって東京藝術大学で発見され 2003 年に翻刻出版された『小學唱歌教科書編纂日誌』によって検証し、作曲に関しては岡野を含む 6 人の楽曲委員が基本的に独立して仕事をしたことを確認した。 次に、『尋常小學唱歌』以外の資料から、他の楽曲委員 5 名および岡野が作った旋律を探し出し、比較・分析して共通の要素および岡野固有の作曲手法をまとめた。 最後に、抽出した岡野旋律の特徴を『尋常小學唱歌』全 120 曲と照合し、曲同士の関連も考慮に入れつつ、《紅葉》《朧月夜》《故郷》《冬景色》《雁》《秋》《廣瀬中佐》《浦島太郎》《春が来た》《入営を送る》等については岡野作曲の可能性が極めて高いと推論した。
著者
安田 香
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.45-54, 2007

<p> ドビュッシーは 1889 年パリ万博でガムランの生演奏に触れ、強い関心を抱いた。彼は先ず、演奏されたある印象的フレーズを用いて 3 作品を書く(これらの作品の一部は、後日作曲者自身の反省の対象になった)。次いで、ガムラン的音組織、 音色、低音打楽器の特性、ヘテロフォニーなどを諸作品に取り入れ、ついにピアノ独奏曲「パゴダ」Pagodes(『版画』Estamp 第 1 曲)にそれらを結集させる。以降、ガムランから学んだ技法は、次第にドビュッシー独自の語法になっていく。本稿は、上述の過程を、作曲家が創作を展開した当時の芸術思潮に照らし論考する試みである。</p>
著者
神部 智
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.17-28, 2008-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
27

本稿の目的は、ジャン・シベリウスの《交響曲第 3 番》作品 52 における創作概念と表現手法の考察を通して、同交響曲に認められる新たな様式的方向を明らかにすることにある。民族ロマン主義からの芸術的飛躍を試みた中期創作期のシベリウスは、古典的作風の内に堅固な音楽的論理の確立を求めた。そこにおいて重要な鍵となったのが「交響的幻想曲」の創作概念である。《交響曲第 3 番》においてシベリウスは、伝統的なソナタ様式への斬新なアプローチ、そしてスケルツォとフィナーレ的要素の融合という独自の表現手法を拓いたが、それは自由な形式と堅固な論理の両立を求めた同時期のシベリウスの新たな創作概念に基づくものであったといえる。
著者
河本 洋一
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.33-52, 2019

<p> 人間の音声を駆使した "ヒューマンビートボックス" という新たな音楽表現は日進月歩の発展をみせており、海外では愛好者のコミュニティや研究者らの間で、活発な議論が展開されている。一方、日本では技術面への関心は高いものの、 概念形成に関する議論は不足しており、その拠り所となる日本語の資料が必要であった。</p><p> そこで本稿は、世界最大の愛好者コミュニティの様々な論考や世界初の解説書などが示す内容に、国内外の "ビートボクサー" と呼ばれる演奏者らへの聞き取り調査の結果を加え、ヒューマンビートボックスの歴史的背景や音楽表現としての様々な特徴や可能性を整理した。その結果、日本におけるヒューマンビートボックスの捉え方と世界的な流れにはずれがあったことや、ビートボクサーAfra(本名:藤岡章)が世界と日本との架け橋となり、日本におけるこの音楽表現の発展に大きく貢献したことなどが明らかとなった。</p>
著者
樫下 達也
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.13-24, 2013-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
28

本稿は、1930年前後のハーモニカ音楽界の状況を、1937(昭和12)年の東京市小学校ハーモニカ音楽指導研究会(東ハ音研)とその上部組織である全日本ハーモニカ連盟(全ハ連)に焦点を当てて明らかにし、小学校へのハーモニカ導入史の一断面を解明することを目的とする。具体的には、当時のハーモニカ界がおかれていた状況を如実に表す事象として、全ハ連の設立と、日本演奏家連盟との間で起った「ハーモニカは玩具か?」騒動に着目した。そして、どのような社会的音楽状況の下で全ハ連が東ハ音研を設立するに至ったのかを考察した。1930年以降に小学校にハーモニカ音楽が導入されるようになった背景には、学校現場からの内的な動機や要求だけでなく、「ハーモニカは玩具か?」騒動に象徴されるハーモニカ界全体の停滞的状況や、これを打開しようとするハーモニカ界の人々や楽器メーカーの思惑という学校外の音楽状況の存在が明らかとなった。
著者
奥 忍
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.23-32, 2003-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
28

本稿は「拍子を分割する単位拍としての間」の研究の一部分をなしている。これまでの研究から,聞き手が感じる拍感には,構音や音高など,さまざまな要因が働いていることが明らかになっている。そこで,今回は「時間長」に焦点を当て,旋律的要素よりもリズム的要素が優位であり,しかも表現法として様式化されている和歌の朗詠を取り上げた。朗詠と律読,朗読との相違点をリズムの視点から検討した上で,百人一首の朗詠の音声分析を通して,各句と単位拍,モーラの時間長配分によるリズム操作を明らかにする。検証された5仮説の中でとりわけ注目されるのは以下の3 点である。・特定の語や句についての強調や,語句境界よりも全体の時間的な流れが優勢であること。・単位拍,モーラは等拍/等時でなく,流動的であること。・様式化された朗詠の中に演者個人の表現様式が存在すること。この実験で明らかになったことばの流動的なリズム操作,モーラの時間長配分は,他の邦楽ジャンルにも共通している可能性がある。
著者
後藤 丹
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.57-66, 2005-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
12

オペラ《フィガロの結婚》のプラハ上演成功をきっかけとして、モーツァルト は《ドン・ジョヴァンニ》を作曲した。 双方のオペラの登場人物たちが歌う何曲かには、音楽的に非常に類似する部分が認められる。分析の結果、伯爵夫人とドンナ・ エルヴィーラ、フィガロとマゼット、スザンナとツェルリーナの3つの組合わせにおいて、その傾向が顕著であることが判明した。 それぞれの二人は性格や行動様式は異なるものの、劇の役割上は非常に近い状況に置かれている。モーツァルトは《ドン・ジョ ヴァンニ》の登場人物の何人かを《フィガロの結婚》の登場人物のカリカチュアとして描こうとしたのではないか。それは《フィ ガロの結婚》を歓迎してくれたプラハ市民への作曲家からの機知に富んだ挨拶ではなかったか。
著者
木下 千代
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.33-44, 2007-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
9

ショパンの「24 の前奏曲」op.28 は、ショパンの作品にはめずらしい小品の集まった曲である。ショパンが生前に 24 曲つづけて演奏したという記録はないが、今日ではそうされるのが常となっている。長短調が交互に、しかもはげしい対比をもって入れ替わるこの曲は、演奏者になみなみならぬ構成力と集中力を強いるものである。筆者も演奏に際してどのようにまとめたらよいかを考えるうちに、平行調の 2 曲ずつに書法上の関連があり 2 曲が対をなしているのではないかということに気づいた。また平行長短調だけでなく 5 度上の調に移行する時も、音型などになんらかの関連性をもたせていることが多い。本小論では、ショパンの書法および記譜上の小さなサインから、関係長短調および全体がどのように関連付けられているかを読み取り解明する。またそのことから導かれる演奏上の留意点を述べつつ、24 曲をどのように構成するかを考察する。
著者
宮川 渉
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-20, 2018-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
42

武満徹の《秋庭歌一具》は雅楽の重要な作品として知られているが、この作品を書く上で下地となった作品が二 曲存在すると考えられる。それは《ランドスケープ》と《地平線のドーリア》である。本稿はこれらの三作品において、どのようなかたちで雅楽の要素が現れているかを検証することにより、これら三作品の共通性を明らかにすることを目的とする。そのためにこれらの作品における音組織と反復性の二点に焦点を当てて分析に取り組んだ。また《地平線のドーリア》には、 ジャズ・ミュージシャンのジョージ・ラッセルが提唱した理論であるリディアン・クロマティック・コンセプトからの強い影響もあると武満自身が語っており、武満は、この理論を用いてジャズよりも雅楽の響きに近いものを追求したと考えられる。 その点も合わせて検証した。
著者
篠原 盛慶
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-12, 2013-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
15

1889 年、物理学者の田中正平 (1862-1945) は、唸りの少ない協和性を追求し、エンハルモニウムの名で知られる 1 台の画期的なリードオルガンを製作した。この楽器は、「純正調オルガン」であると広く認識されている。しかし、田中とともに、当時の日本の音律研究を牽引した音響学者の田辺尚雄 (1883-1984) は、主著『音楽音響学』(1951) のなかで、 エンハルモニウムに 53 平均律が用いられたことを示唆している。田辺は、同書でその根拠を示していないため、本当にそうであったかどうかについては、詳細な検証が必要となる。本論では、その検証と考察を行った。 その結果、田中の音律理論を集約した格子図に、彼の理論の基礎に53平均律が据えられていた可能性が確認された。また、田中の純正 7 度の代用音程の捉え方に、エンハルモニウムに 53 平均律が適用された可能性が認められた。さらに、エンハルモニウムの最大の独自性である移調装置に、同楽器に純正律が施されていない証拠を見つけることができた。以上から、田中正平のいわゆる「純正調オルガン」、すなわちエンハルモニウムは、実は 53 平均律を適用した楽器であったと結論づける ことができる。
著者
石原 慎司
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.13-22, 2021-11-30 (Released:2022-11-30)
参考文献数
19

戦前の日本のオーケストラが外国人指揮者を通して受容した演奏様式などの音楽表現上の要素について、具体的にそれがどのようなものだったのかはこれまで未解明であった。この点は日本のオーケストラの歴史形成を知る上で重要な情報であるが、それを言語化したものや録音物が非常に限られていたために解明が進んでいなかったのである。そのような中、ドイツから来た指揮者による昭和15 年度のオーケストラ指揮法講義の記録ノートが発見され、日本人が教わった、つまり、受容したといえる音楽表現内容の一事例が判明した。 講義は管弦楽曲を教材とした専門的な指揮法を含み、音楽表現上の高度な内容を包含していた。また、山田耕筰も立ち会っていたことから、受講者は戦後の日本を担う日本人指揮者が含まれていた可能性が極めて高い。そこで、この講義で説明された運動・動作から指揮者が意図した音楽表現上の要素を読み解き、19 世紀以前の演奏習慣や指揮技法の地域的な出自に関わる情報と照合した。その結果、講義内容は当時のドイツに見られた指揮技法や音楽表現上の要素と共通すると思われる部分がみられた。したがって、戦前の日本のオーケストラにも、当時のドイツのオーケストラで鳴り響いていた音楽表現が確実に伝播しており、演奏されてもいたと考えられる。
著者
三島 郁
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-12, 2019-11-30 (Released:2020-11-30)
参考文献数
28

19世紀におけるドイツ語圏での「ゲネラルバス」という用語は、バロック期の「通奏低音」としてではなく、和声理論にも使われていた。その延長上にフーゴ・リーマン Hugo Riemann (1849–1919) は理論・実践書『ゲネラルバス奏法の手引き(ピアノの和声練習)Anleitung zum Generalbass=Spielen (Harmonie=Übungen am Klavier)』(1889–1917)を出版した。彼はそこでバロック作品の通奏低音についての説明や実践課題も多く載せながら、さまざまな記号を駆使して和声の機能面を強調する。 本稿では、この『手引き』の内容を、リーマンのゲネラルバスの使用法や和声理論教育の方法の観点から分析し、彼のゲネラルバスの捉えかたを考察し、明らかにした。リーマンのゲネラルバス理論は、和音の縦の構成音を示すバロックの通奏低音の理論と、和音の横の流れを示す19世紀の和声理論という、一見逆のシステムをもつようにみえる二つの理論に対して、それらを鍵盤上で実践する指の動きで結びつけることによって整合性をもたせようとしたものである。そのゲネラルバス実践には、機能和声という条件の下でも、指感覚を重んじながら「正しい」進行をすることが求められている。
著者
竹内 直
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.45-56, 2011-11-30 (Released:2020-06-26)
参考文献数
28

日本の「民族主義」を代表する作曲家の一人とされる早坂文雄(1914-1955)の《交響的組曲「ユーカラ」》(1955) は無調性への傾斜や複雑なリズム語法の使用などの特徴から、早坂の新しい境地を示した作品であるとされながら、これまでその音楽語法は明らかになってはいなかった。本稿は早坂の《ユーカラ》における音楽語法を、メシアンの音楽語法との関連から考察することを試みたものである。 早坂が《ユーカラ》において用いた音楽語法には、メシアンの音楽語法である「移調の限られた旋法」、「添加価値」をもつリズム、「逆行不能リズム」、「鳥の歌」と類似する手法が頻繁に用いられている。またそうした手法のなかには武満徹(1930-1996)の音楽語法との共通点もみられた。 早坂がメシアンに関心をもっていたという言説を踏まえれば、早坂の《ユーカラ》における音楽語法は、メシアンの語法との近親性を具体的に例示することになるだろう。またその語法は、武満徹をはじめとする早坂の影響を受けたとされる作曲家の語法との関係をより具体的に示しているといえる。
著者
竹内 直
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.45-56, 2011

<p> 日本の「民族主義」を代表する作曲家の一人とされる早坂文雄(1914-1955)の《交響的組曲「ユーカラ」》(1955) は無調性への傾斜や複雑なリズム語法の使用などの特徴から、早坂の新しい境地を示した作品であるとされながら、これまでその音楽語法は明らかになってはいなかった。本稿は早坂の《ユーカラ》における音楽語法を、メシアンの音楽語法との関連から考察することを試みたものである。</p><p> 早坂が《ユーカラ》において用いた音楽語法には、メシアンの音楽語法である「移調の限られた旋法」、「添加価値」をもつリズム、「逆行不能リズム」、「鳥の歌」と類似する手法が頻繁に用いられている。またそうした手法のなかには武満徹(1930-1996)の音楽語法との共通点もみられた。</p><p> 早坂がメシアンに関心をもっていたという言説を踏まえれば、早坂の《ユーカラ》における音楽語法は、メシアンの語法との近親性を具体的に例示することになるだろう。またその語法は、武満徹をはじめとする早坂の影響を受けたとされる作曲家の語法との関係をより具体的に示しているといえる。</p>
著者
籾山 陽子
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-12, 2015-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
39

G. F. ヘンデル(George Frideric Handel, 1685-1759)のオラトリオ《メサイア》(Messiah)(1741)の歌詞付けについては不自然な部分があるとしばしば指摘されてきた。本稿では、歌詞付けが特異とされる箇所のうちイタリア歌曲の連声 (elision)の技法が用いられている部分についてその歌詞付けを評価した。まず、作曲当時の自筆譜・指揮譜から現代譜までを参照してそれらの部分の対処の変遷を調べた。次に、英語学の視点から連声に関係する語句の発音の変遷について調べ発音と歌詞付けの関係を考察した。その結果、ヘンデルの歌詞付けは作曲当時の王侯貴族の正統派の発音に従っていること、 当時は違和感がなく滑らかな演奏がなされていたが後世市民階級の台頭により発音が変化したためそれらの歌詞付けで歌うことが難しくなったことが明らかになった。また、当時の発音を復元して演奏した結果、作曲時に想定されていた演奏は歌詞付けと発音が相俟って伸びやかなものだったことも明らかになった。
著者
田島 孝一
出版者
日本音楽表現学会
雑誌
音楽表現学 (ISSN:13489038)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.49-55, 2006-11-30 (Released:2020-05-25)
参考文献数
4

1992年に命名したこのピアノ奏法は,デッぺの重力奏法とツィーグラーが求める美しい音色および「重さ」「支え」「移動」という観点に,筆者が運動の法則という普遍的視点を加えて,「指歩き」と表現したものである。これに基づけば,人が日常に足で歩くような感覚で,各関節により着実に支えられた指を運ぶことができる。それにより無駄な力が排除され,安定した手指からは美しい音色により音が奏でられ,それらに伴なって生じる精神的余裕により,細やかな音楽表現が可能となる。この奏法を使う指導者に求められることは,スポーツ指導者のような力学・物理学的な指導知識をもつことである。また楽譜上の全ての音符に付した指番号をたどれば,基本的にはほとんど弾けるような楽譜を使用することにより,配慮すべき情報量を極力少なくし,精神的余裕を生み出すことができることも,本奏法の特徴である。