著者
此経 啓助
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
no.45, pp.15-29, 2007

明治維新を迎えた明治政府は、神道思想を柱にした宗教政策、いわば神道国教化政策を強行し始めた。それは王制復古と連動するもので、幕末の「文久の修陵」事業、「孝明天皇の陵墓」建設に引き続いて、墳墓に関していえば、天皇家の墓所である「陵墓」への崇拝と修陵が行なわれた。また、仏葬祭に代わる神葬祭を実現する神葬祭の礼式案が政府に数多く提出され、その実行のために「祖霊社」が全国各地に設けられ、提案された「神葬祭」が実行された。維新政府の進めたこれらの宗教政策に沿って、関連する墳墓を写真で紹介しながら、神道式墳墓を構成する要素を前回に引き続きさぐってみた。
著者
此経 啓助
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.A47-A63, 2005

神道が仏教に対抗する形で意識上にのぼり、思想化の試みが果敢に実行されたのは、近世に入ってからといわれる。人々の生活に密着した葬祭(葬儀・埋葬)に関してもさまざまな計画が生まれ、明治新政府の神道を柱にした宗教政策に大きな影響を与えた。しかし、何をもって「神葬祭」というのかは公に統一されないまま今日に至っている。この小論では、神道を意図した墳墓を「神道式墳墓」と仮定して、近世における大名・神職・儒家・国学者などによる「神道式墳墓」の計画・意図・実行をさぐり、資料化を計った。
著者
此経 啓助
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.A43-A60, 2005

明治時代初期に施行されたさまざまな墓地政策を通して、文化政策としての宗教政策を検討してみた。具体的には、墓地政策の「神葬祭墓地の成立とその後」に対象をしぼり、神葬祭墓地の痕跡を現在の公営霊園に探し、さらにそこに神道式の墳墓を探索した。その結果、前者の痕跡は希薄だったが、後者に関しては多種多様な墳墓を見つけることができた。一種の「神道文化」である。それは神葬祭墓地が数年して「共葬墓地」(公営墓地)に吸収された理由を解き明かす大きな手がかりとなった。つまり、墓地政策の「公共性」と「宗教性」の両方を必要とするかぎり、全体としての「文化政策」を「政策文化」に転換しなければならない。「宗教性」のもつ概念化された「宗教」を生きた「文化」として取り扱う必要がある。
著者
此経 啓助
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.A19-A28, 2004-03-15