著者
池上 和夫
出版者
神奈川大学
雑誌
商経論叢 (ISSN:02868342)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.i-ii, 2001-01
著者
伊牟田 敏充 本間 靖夫 〓見 誠良 池上 和夫 波形 昭一 渋谷 隆一 斉藤 寿彦
出版者
法政大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1986

1.『昭和財政史資料』など未公刊資料を収集し, 分析して, 研究成果の一部として次のような諸点が得られた. なお, 利用予定であった史料の一部(賀屋文書)の公開が遅れたため, 最終的取りまとめには時日を要する予定.2.第2次大戦下の金融構造は, 昭和初年や戦後高度成長期のそれとは異質であり, 公債消化と軍需金融を二本の柱とした資金統制計画に基く「割当型」の金融構造であった. リスクの大きい軍需金融のため興銀・戦時金融金庫が媒介機関となり, 普銀・生保等の資金が「迂回」的に利用された.3.資金調整から金融統制へと大蔵省による「上から」の統制は深まったが, それを支えたのは金融機関間の協調的行動(金利協定, 国債保有, 共同融資, 社債シンジケート団の拡大)であった. 時局共同融資団は典型例.4.日銀は伝統的中央銀行とは異質のものとなった. 兌換停止された日銀券は1941年に管理通貨となった. 日銀は国債を無制限に引受け, 国債管理機関となったほか, 商業金融主義を放棄して産業金融調節者となった.5.大戦下に銀行合同が徹底して推進され, 都市二流銀行・農工銀行・地方信託が消滅した. 地方では一県一行がほぼ完成, 貯蓄銀行が消滅した. 銀行規模の拡大・店舗網の整理・資産の整理によって経営が「合理化」され, 資金コストが低下し, 国債消化・低金利実現につながった.6.軍需企業との直接的関係の薄い金融機関(地銀・貯銀・生保・勧銀・産組中金など)は資金に余裕が生れ(戦時的資金偏在), その資金は国債消化に誘導されたほか, 金融債消化により迂回的に軍需企業へ流された.7.太平洋戦争は米英との為替取引を不可能とし, 1932年以降の為替管理は変更を余儀なくされ, 正金銀行の機能が弱化した. 円系通貨圏内決済のみ残ったが, 日銀・台銀・鮮銀・南方開発金庫・外資金庫等の特殊金融機関の連帯的行動で円系通貨を支えた.