著者
サヴァレスキュ ジュリアン 澤井 努
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 共生人間学専攻 カール・ベッカー研究室
雑誌
いのちの未来 = The Future of Life (ISSN:24239445)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.100-114, 2016-01-15

原著: ジュリアン・サヴァレスキュ, 翻訳: 澤井努Original : Julian Savulescu, Translated : Tsutomu Sawai今では、体外受精や着床前診断を利用することで優生学的に胚を選別できるようになっている。着床前診断は、一般に染色体異常や遺伝的異常を見つけるために用いられているが、原理的には例えば髪の色や目の色などの遺伝形質を検査するために用いられることも考えられる。遺伝学的研究は知能のような複雑な形質の遺伝学的基盤を解明するまでに急速に発展しており、ある家族に見られる犯罪行動に影響する遺伝子が特定されてきている。いったん体外受精を利用するという決定がなされれば、着床前診断はカップルにとってほとんど「コスト」がなく、例えばアルツハイマー病を発症するといったより小さなリスクなど、それほど重篤ではない医学的な形質を選別したり、非医学的な形質を選別したりするために着床前診断を受けたいと思うであろう。着床前診断は既に、伴性遺伝の病歴がない場合に、望ましい性別の胚を選択するために用いられている。本稿では、以下の3 点を主張する。(1)いくつかの非疾患遺伝子は、われわれの最善の人生を送る可能性に影響する。(2)われわれには、生殖をめぐる意思決定において、そうした非疾患遺伝子に関して利用可能な情報を用いるべき理由がある。(3)カップルは、非疾患遺伝子に関する情報など、利用可能な遺伝情報を基に、最善の人生を送る可能性の最も高い胚、または胎児を選択すべきである。また、たとえ非疾患遺伝子の選別が社会的不平等を擁護、または増大させるとしても、われわれはそれを認めるべきであると主張する。本稿では、知能や性別の選択に関係する遺伝子に注目する。私は、「生殖の善行」という原則、すなわち、「カップル(または子どもを持とうとするシングル)は、関連する、利用可能な情報を基に、彼らが持つことのできる子どもの中から、最善の人生、または少なくとも他の子どもたちと同程度によい人生を送ることが期待される子どもを選ぶべきである」を擁護する。
著者
澤井 努
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 = Journal of religious studies (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.3, pp.549-571, 2013-12

本稿では、江戸時代中期の市井に生きた思想家、石田梅岩(一六八五-一七四四)の思想に注目し、「儒者」と称した彼が生と死に関する実存的な問いにいかに向き合ったのかを明らかにした。従来、儒教の主たる関心事は、概して死、死者、死後の世界など死に関わる問題ではなく、現生、今現に生きている人間など生に関わる問題にあるとされてきた。しかしながら、梅岩が著したテクストを踏まえれば、生とは何か、死とは何か、という実存的な問いに対して、彼がむしろ真摯に向き合った跡を読み取ることができる。それは、具体的に「心」を知るという修行、すなわち、宇宙論的に生と死の意味を捉えなおすことによって行われた。本稿では梅岩が周〓渓による「太極」の生成論を基本的に踏襲していることを確認したうえで、彼が死後の「霊」の存在について如何に解釈したのかについても言及した。「不生不滅」の議論を踏まえれば、死後も「性」はそのままその場に止まる。また、梅岩独自の言語観(「名」が存在を存在せしめる)に基づけば、生者が死者の存在を「霊」と名づけ、その「霊」を誠意を持って祭る場合に「霊」は確かに存在するのであった。