著者
田上 竜也
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学
巻号頁・発行日
no.35, pp.18-31, 2002-09

ポール・ヴァレリーにとってナルシスの形象は生涯にわたり特権的な価値を帯びていた。その口切りといえるのは、若年期を過ごしたモンペリエの植物園に葬られる少女ナルキッサの伝説に喚起され、その墓碑銘をエピグラフに記した1891年初出の詩篇『ナルシス語る』である 一[...]どんなに私は嘆くことか、お前の宿命的で純粋な輝きをかくも柔らかく私に抱きかかえられた泉よ私の眼はその死の紺碧のなかに汲んだのだ濡れそぼれた花々の冠を頂いた自らの像を[_】((E,1,82)(1)rエロディアード』に強く触発されたこの詩には、しかしながらマラルメの詩における意識の微細な動きを映し出す意図や、詩句の純化された緊張感は希薄であると言わざるを得ない。夕暮れの月光に照らされる泉、百合や薔薇、ミルトといった花々、サファイアや水晶に形容される水面、ニンフの群れといった光景は、世紀末の意匠として目新しいものではなく、若書きの陳腐な道具立ての域を越えていないとすら言える。けれどもナルシスのモチーフはそうした通俗の次元にとどまらず、その後ヴァレリーのなかで独自の展開を遂げ、さまざまな意味を担っていくことになる。この稿では自意識の構造を示すモデルとしてのナルシス問題系の変遷を、主として1920年前後の著作に焦点を当てつつ辿ることにする。
著者
田上 竜也
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.42, pp.81-95, 2006

以下に訳出するのは、ポール・ヴァレリーの未完草稿『ストラトニケー』の一部である。企図としては1922年頃に始まり、1930年から35年にかけて精力的に執筆され、さらに生涯書き継がれたこの作品草稿は、フランス国立図書館に収められ(Naf 19034 ff.76–302)全体で200葉以上の紙片からなる、ヴァレリー未完作品のなかでも大規模なものである。もとよりここでそのすべてを紹介することは不可能であり、また草稿全体を見通した詳細な分析も別の稿に委ねることとして、ここではユゲット・ロランティによって活字化された部分のなかから、対話下書き草稿を主として抄訳した。 作品の構想については既にいくつかの先行研究によってあきらかにされているが、主題はアングルによる、シャンティイおよびモンペリエ美術館にある絵画から触発されたものであり、その原作はプルタルコスの『対比列伝』(「デメトリオス」)に遡る。話の筋は主要な4名の登場人物、すなわちシリア王セレウコス(『カイエ』の構想ノート(C, XX, 714)によれば53歳)、王妃ストラトニケー(マケドニア王デメトリオスの娘。同15歳)、王子アンティオコス(1世ソーテール。同18歳)、 および医者エラシストラトス(同40歳)を軸に展開され、その中心となるのは王子の、年若い義母である王妃への道ならぬ恋と、それを知った王から王子への、王妃の譲渡である。 全体はプロローグおよび3幕(あるいはそれにエピローグを加えた)構成からなり、その内容は次のとおりである。まずプロローグでは門番の道化的な語りによる状況説明。第1幕では、王と王妃との会話。王は王妃に、原因不明の病床にある王子の自殺を阻むべく剣を盗むことを命じる。王と医者との対話。第2 幕では、剣がないことに気付いた王子の怒り。王子の病の原因を突きとめるよう命じられた医者による診察。肉体的な病気との最初の診断と王への報告。再び患者のもとに戻った医者の眼前を王妃が通り過ぎる。病の原因の発見。第3幕では医者の独白と王への報告。王の怒りと王子への殺意。王の独白につづく最後の決断。大団円となる登場人物による「4重唱」。 主要な登場人物4名のうち、老いや死の恐怖、愛の蹉跌に苦悩する王セレウコス(草稿では王妃との肉体的非交渉が想定されている)に作者ヴァレリーのもっとも直接的な投影を見出すのは容易だろう。カトリーヌ・ポッジィやルネ・ヴォーティェとの恋愛体験に由来するエロスの隘路や、現実的存在、時間内存在である自己を目の当たりにすることによる苦悩という主題は、この作品と、やはりエロスの惑乱から産まれた『天使』とを引き寄せるものである。けれども、王セレウコスのみがヴァレリーの分身であると考えるのは短絡にすぎよう。この作品もヴァレリーのそのほかの対話篇と同じく、ひとつの精神において営まれる内的対話を外在化したものであり、精神が保持する多様性を関係性のうちに表現したものといえるからである。その意味で4者はいずれも作者の反映というべき存在であり、相似的ないし相補的関係をなしながら生の全体を表現している。実際この4者は、老い、叡智(セレウコス)に対する若さ、行動力(アンティオコス)、知性、饒舌(エラシストラトス)に対する身体、寡黙(ストラトニケー)……という対称性のうちに配置されている。息子に対する情愛のうちに妻への愛を断念する王は、王子のうちに「別なる自己」を認めており、両者は「他」にして「同一」という明快なナルシス的鏡像関係を形成する。また一貫して受身な存在である王妃ストラトニケーにしても、現実的女性というよりもパルクやアティクテの造形を受け継ぐ、内的女性性の化身にほかならない。対称性にさらに着目するなら、王と王子の双方から愛される王妃のみならず、両者の対話相手となる医者エラシストラトスも同様に関係のなかで蝶番的な役割を担っており、彼は劇の演じ手かつ観察者として、生命の神秘や身体と精神との葛藤を代弁する語り手である。人物たちのそうした形式的配置が、生の循環を象徴する黄昏から夜明けにかけての時間軸に沿って、筋を展開させていく。 この作品はオリエント̶ギリシャ趣味による音楽劇として構想され、『アンフィオン 』や『 セミラミス』といった劇作の系列に属するが、 精神と身体、「檻のなかの鼠」によって象徴される苦悩の回帰などはエロス体験を直接の契機とし、対話篇『神的ナル事柄ニツイテ』と多くの共通点を持つ。最終的に『我がファウスト』に流れ込んでいく主題系を理解するうえで、欠くことのできない作品草稿といえるだろう。
著者
田上 竜也
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.33, pp.1-14, 2001

上に掲げた「序説」という表題は、この小論のいわば射程の短さを示すものである。というのも、ヴァレリーにおける「空間」の問題を扱うにあたり、詩人としての、あるいは詩以外の文学的テクストの作者としてのヴァレリーの想像界へと話を展開していくことは、あまりに論点を拡散しすぎてしまう恐れがあるからである。ここでは、もっぱら理論面からヴァレリーの空間に関する思索を分析し、とりわけヴァレリーの思想と、彼が生きた当時の数学的、科学的思潮との関連という点に話を絞って進めていくことにする。それが、この論を序説と題する所以である。 本稿ではヴァレリーの『カイエ』における空間論を中心に考察していくが、その前に、19世紀から20世紀への転換点において、空間を巡る論議が、物理学的、数学的、哲学的、科学認識論的な領域にわたる中心問題であったことを強調しておく必要があると思われる。ごく大雑把に言って、19世紀以前、空間の概念は、数学的対象としても、物理的現実としても、素朴な形でユークリッド空間に結びつけられていた。すなわち、ユークリッド幾何学においては、空間概念を、論理的明証性と現実的かつイデアルな秩序を担った定義と公理の体系と見なしていた。また物理的空間は、知覚に基づく現実空間およびユークリッド空間と同一視されていた。周知のように、ニュートン物理学とカント哲学はユークリッド幾何学を具現するものだが、前者において空間は、物質がその中で自由に動きまわることのでき、またその内に幾何学図形を構築することができる、空虚な受容体としての絶対空間であり、後者は、空間概念の根拠を認識主体の側に引きつけたうえで、それをア・プリオリな感性の形式と定義づけるものであった。19世紀において、こうした空間観への疑義が呈されるようになったのは、言うまでもなくガウスやロバチェフスキーらによる非ユークリッド幾何学の発見に依るものである。19世紀末という時代は、一方にはア・プリオリの純粋直観というカント的空間論、他方には双曲線幾何、楕円幾何といった複数の幾何学、さらにそれに伴う複数の空間の存在を認める新しい空間論とが、哲学的、科学認識論的地平において対立していた時代と言うことができる。 このような時代状況下、ヴァレリーはその空間論の出発点において、ポワンカレの1895年の論文「空間と幾何学」2に大きな影響を被っている。論中ポワンカレは、空間を現実空間、すなわち視覚、触覚、運動感覚によって構成される知覚表象の空間と、幾何学空間(この場合ユークリッド空間)との2種類に大別している。このポワンカレの論を受けて書かれたごく初期の『カイエ』にはこう記される。「ポワンカレは、彼によれぽ連続的で、無限で、3次元で、同質的、同方向的な幾何学空間を、(視覚、運動等の)空間ないし表象空間と区別する。彼はおそらくこれらの空間が思考のなかで混ざり合っていることを忘れている。[_]彼が実に正当に指摘したように、表象空間については、それが3次元を持つとは言えない。表象空間は独立した神経網が与>xるだけの、すなわち独立変数の数だけの次元を持つ。」(C.int.,I,215)ヴァレリーはここで言及される2種類の空間、すなわち現実(表象)空間と幾何学空間の他に、さらに想像空間、つまり心像によって作られる空間の存在を主張し、それら3種類の空間が意識のなかで混在していると考える。初期『カイエ』における探究の大きな柱のひとつは、心像の連鎖の観察と操作を通じて、この想像空間の性格を明らかにすることにほかならない。「イメージの幾何学」と名づけられた一連の考察のなかで彼は、想像空間の特質を、現実空間、幾何学空間との比較から明らかにしようと試み、とりわけ、想像空間にどれだけ幾何学的法則を適用することができるか、という点を問題にしている。そうした試みのなかで、ヴァレリーは抽象的でイデァルなユークリッド幾何学空間と、感覚の多様さに応じて複数の次元を持つ現実空間、平面的で絶えず大きさの変化する想像空間を対立させている。以下では、現実、幾何学、想像空間という3分法に基づく枠組みを念頭にいれた上で、ヴァレリーにおける幾何学的認識および空間の起源と性格、さらに心的空間の表象と幾何学モデルとの関係について検討する。