著者
田中 亜以子
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

平成23年度は、避妊による快楽と生殖の分離が、夫婦間の性行為にいかなる変容をもたらしたのかということを明らかにするために受胎調節の啓蒙が国家政策となった1950年代に着目した。これまで先行研究は、避妊技術と夫婦の「快楽の性」への志向性が手を携えて浸透していったこと、さらにそのことと連動して性行為における「感じさせられる女」と「感じさせる男」という役割規範が浸透していったことを指摘してきた(川村1998、荻野2008)。だが、夫婦間の性が「快楽」への志向性を高めた結果、なぜそこで「感じさせられる女」「感じさせる男」が演じられるようになったのか。その受容過程は、ほとんど問われてこなかった。「戦後」という時代に「感じさせられる女」「感じさせる男」が、たしかに脚光を浴びたことは、ヴァン・デ・ヴェルデの『完全なる結婚』が1946年にベストセラー化したことによって証拠づけられてきた(橋爪1995、川村1998、田中雅2010)。セックスのゴールを男女の同時オーガズムに設定した『完全なる結婚』は、女をオーガズムに導く責任を男に課し、そのための技巧や体位を詳細に記述した性のマニュアル本である。そうした書がベストセラーになったことが、日本社会に大きな影響を与えたことを否定するつもりはない。だが、『完全なる結婚』において何が提示されたのかということが繰り返し論じられてきたのに対し、そこで提示されたことがどのような論理によって受容されたのかということについては、これまでほどんど問われてこなかったのである。啓蒙側と受容側にズレはなかったのか。あるいは男と女の間のズレはどうだろうか。申請者は、そうした問いを立てることによって、「感じさせられる女」「感じさせる男」が共に平等と支配と関係を取り結んできたメカニズムを解明した。具体的には、まず性に関する当時のオピニオンリーダーたちが何を考え、何を発言していたのかということを整理した上で、夫婦雑誌の流行に着目し、「感じさせられる女」「感じさせる男」が「戦後」という時代にどのような枠組みにおいて注目されることになったのかということを浮かび上がらせた。続いて、1949年6月に創刊され、既婚男性を主たる読者とした『夫婦生活』という雑誌に着目し、「感じさせられる女」「感じさせる男」がどのようなものとして啓蒙され、かつ、どのような論理で男たちに受容されていったのかということを分析した。最後に、50年代を通して女性月刊誌の中で最も読まれた雑誌であり続けた『主婦の友』に着目し、性生活関連の記事を『夫婦生活』との比較の観点から分析することで、受容の論理の男女差に光を当てた。