- 著者
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畔蒜 和希
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.35, 2023 (Released:2023-09-28)
1. 問題の所在 厚生労働省の報告によれば,2022年4月における全国の待機児童数は2,944人であり,2017年(26,081人)以降減少傾向にある.その一方で,近年は希望する保育所に入所できなかった世帯や育児休業の延長によって対応した世帯など,待機児童の定義や数値には含まれない「潜在的待機児童」が耳目を集めている.保育所に入所させるための活動が「保活」と称されるように,保育サービスの利用は世帯の就業や生活の状況と密接に関係しており,社会的再生産において重要な位置を占める.したがって保育ニーズを議論する上では,待機児童数や保育所の定員数・利用児童数といった量的指標に拠るのみならず,サービス利用者の具体的な経験に内在する需要をとらえる視点が重要となる.これを踏まえて本報告では,ウェブサイト上に公開されている保育所利用者の体験談を読み解くことで,東京大都市圏(東京都,埼玉県,千葉県,神奈川県)における保育ニーズを質的側面から検討し,その実態と保育労働との関係性を考察することを目的とする.2. 分析対象 分析対象とするデータは,マンション購入等のコンサルティング会社が運営するサイト「住まいサーフィン」内の「パパ・ママ保活体験談」ページ上に,2022年1月から2023年6月までに投稿された165件の記事である.投稿者の属性は母親が129件,父親が36件であり,フルタイム勤務者が全体の約73%を占める.投稿者が利用した保育所はすべて東京大都市圏内に所在しており,うち約78%が認可保育所であった.投稿者の多くは2019年から2022年にかけて「保活」を経験しており,入所当時の子どもの年齢は0歳から2歳までが全体の約88%を占めていた. 保育所を利用した契機は,家計のために共働きが必須であった点,および身近に預けられる親族や知人がいなかった点が共通する傾向にあった.他方で,あらかじめ職場復帰を念頭に置いていた,日中子どもから離れるために就職先を探すといった,自らのキャリアやライフスタイルを重視する過程で保育所の利用を選択した例もみられた.3. 保育所利用者の体験談 保育所入所後の体験談からは,行事イベントや保護者会の実施,連絡帳によるやり取りが必要か否かといった,相反する保育ニーズの実態が描き出された.また,子どもを預けなければ働けない状況である一方,集団生活が基本となる保育所では子どもが体調を崩す頻度も多く,休園対応に苦労する声も散見された.保育所の利用にあたっては,厳格な送迎時間が1日のタイムスケジュールを規定している状況が示唆され,夫婦間での送迎役割の分担や,ベビーシッターサービスなどの積極的な利用を推奨する意見が挙げられていた. 投稿内容でひときわ目を引くのが,子育てをする上での息抜きに関する記述である.ここでは,父親の投稿者が自身のリフレッシュや家族で過ごす時間を挙げている点に対し,母親の投稿者は家事や育児から解放された「ひとりの時間・空間」をいかに作り出すかを重視している点が特徴的である.これに加えて,有給休暇等で平日に休みを取得した際に,子どもを保育所に預けることで自身の息抜きの時間を作り出すような例も多くみられた.4. 考察 多くの子育て世帯にとって,保育所の利用は日常生活を維持する上で必要不可欠となっており,保育サービスには従来の福祉的な側面にとどまらず,いつでも・どこでも利用可能な社会インフラとしての側面が求められている.その背後には本報告の事例が示唆するように,依然として母親に育児負担が偏っている状況がある.母親の多くは自身の子育てから解放された時間・空間を必要としており,それは時に,休日に子どもを預けることで実現されている.加えて,保育所には単に預ける以上の役割が求められるようになり,ニーズが相反するような状況も見受けられる. こうした状況に対応を迫られるのは,まさしくサービスを提供する保育所側であり,そこで働く保育労働者である.社会インフラとしての保育サービスを支える保育労働者の就業や生活の状況,保育ニーズの質的多様化と保育所の労働力編成との関係性などを明らかにしつつ,保育サービスの需給構造や社会的再生産をめぐる議論を展開していく視座が求められる.