著者
畔蒜 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.44, 2021 (Released:2021-03-29)

東京大都市圏では依然として待機児童の解消が叫ばれており,保育所の増設とともに保育士の人材確保が喫緊の課題として認識されている.近年はこのような現状を背景に,養成校との関係に基づいた保育労働力の需給構造を明らかにした研究が蓄積されつつある(甲斐2020).他方で保育士の労働市場に関する議論は新卒保育士の就職部分に焦点化されており,就職後の職業キャリアや中途採用の状況については触れられていない.これを踏まえて本報告では,保育所で実際に働く保育士のライフコースを描き出し,職業キャリアの特性を検討する. 本報告では東京大都市圏郊外における対象事例として,東京都調布市の社会福祉法人運営の認可保育所を取り上げる.常勤保育士18人のうち12人に対してインタビューを実施し,養成校を卒業してからの職歴の詳細や,結婚・出産等のライフイベントとの関係を明らかにした. 対象者のうち10人は養成校を卒業することで保育士資格を取得しており,初職先の選択については先行研究で得られた傾向と類似していた.既卒で資格を取得した2人については,資格取得前より保育補助として勤務しており,現場での経験を蓄積する積極的な意思を持っていた. 次に調査対象者の職歴をみると,同一の保育所または法人内で勤続している者は1人しかおらず,多くの保育士は転職を頻繁に繰り返したり,一度保育士を辞めたのちに再度復帰したりと,自らのキャリアを流動的に形成する傾向にあった.主な転職理由に着目すると,職場内での人間関係,保育所側の運営方針への不満などが挙げられていたほか,特に営利法人の保育所については企業的な経営体制が内包する労働環境等の問題が多く指摘されていた. また,一時離職を経験した保育士については結婚や出産が離職の契機となる場合が多く,女性職としての保育士の特性を反映している.しかし意思決定の内実は多様であり,出産を契機とする退職は慣習であったと述べる者もいれば,第一子出産後に子育てとの両立が困難になったため,勤続を断念した者も見受けられた.これに対して勤続していた保育士は,親族による育児サポートや勤務シフトの柔軟性を理由に勤続が可能であったことを述べている. 個々の職歴をみる限り,保育士の職業キャリアは流動的に形成される傾向にある.しかし対象者の勤務地歴をみると,過去の就業地の空間スケールは狭域に収束している.さらに調査対象である保育所への就職経緯をみると,多くは知人による紹介や同僚の転職経験など,人づてによる情報から現在の職場を認知している.人材紹介サービスを用いて転職活動を行っていた対象者についても,通勤時間を重視しつつ自宅の近隣で転職先を探していた.以上を踏まえると,施設単位でみた場合の保育労働力は,新卒者に限らずローカルに供給される傾向が示唆される. なお,本調査は単一の保育所を事例に,保育士の職業キャリアや労働力供給の一端を明らかにしたに過ぎない.したがって,異なる地域間・運営主体間の差異に着目することで,本報告の調査結果を相対化することが求められる.
著者
畔蒜 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.267-284, 2020 (Released:2020-10-09)
参考文献数
18
被引用文献数
4

オンラインのプラットフォームを通じて単発の仕事を請け負う「ギグエコノミー」が注目されている.本稿ではその一例であるマッチング型ベビーシッターサービスに着目し,ギグエコノミーの実態における一端を明らかにした.マッチング型ベビーシッターサービスでは利用者が希望する日時を指定した上でシッターを選択し,インターネット上で直接契約を交わす.サービス利用者の多くは共働き世帯であり,保育所への送迎や子どもの病気など短時間や突発的なニーズによる利用が多く,施設型の保育では供給できないサービスの領域を埋め合わせていた.シッターは保育士資格や主婦経験を持つ者の参入が多く,資格や育児経験は利用者からの信用を担保する機能を果たしていた.また生活時間のすき間を活用して保育に従事する柔軟な働き方が実現する反面,トラブルの対応やギグワーカーへの補償など,プラットフォーマーの役割や責任をめぐる課題も明らかになった.
著者
畔蒜 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.35, 2023 (Released:2023-09-28)

1. 問題の所在 厚生労働省の報告によれば,2022年4月における全国の待機児童数は2,944人であり,2017年(26,081人)以降減少傾向にある.その一方で,近年は希望する保育所に入所できなかった世帯や育児休業の延長によって対応した世帯など,待機児童の定義や数値には含まれない「潜在的待機児童」が耳目を集めている.保育所に入所させるための活動が「保活」と称されるように,保育サービスの利用は世帯の就業や生活の状況と密接に関係しており,社会的再生産において重要な位置を占める.したがって保育ニーズを議論する上では,待機児童数や保育所の定員数・利用児童数といった量的指標に拠るのみならず,サービス利用者の具体的な経験に内在する需要をとらえる視点が重要となる.これを踏まえて本報告では,ウェブサイト上に公開されている保育所利用者の体験談を読み解くことで,東京大都市圏(東京都,埼玉県,千葉県,神奈川県)における保育ニーズを質的側面から検討し,その実態と保育労働との関係性を考察することを目的とする.2. 分析対象 分析対象とするデータは,マンション購入等のコンサルティング会社が運営するサイト「住まいサーフィン」内の「パパ・ママ保活体験談」ページ上に,2022年1月から2023年6月までに投稿された165件の記事である.投稿者の属性は母親が129件,父親が36件であり,フルタイム勤務者が全体の約73%を占める.投稿者が利用した保育所はすべて東京大都市圏内に所在しており,うち約78%が認可保育所であった.投稿者の多くは2019年から2022年にかけて「保活」を経験しており,入所当時の子どもの年齢は0歳から2歳までが全体の約88%を占めていた. 保育所を利用した契機は,家計のために共働きが必須であった点,および身近に預けられる親族や知人がいなかった点が共通する傾向にあった.他方で,あらかじめ職場復帰を念頭に置いていた,日中子どもから離れるために就職先を探すといった,自らのキャリアやライフスタイルを重視する過程で保育所の利用を選択した例もみられた.3. 保育所利用者の体験談 保育所入所後の体験談からは,行事イベントや保護者会の実施,連絡帳によるやり取りが必要か否かといった,相反する保育ニーズの実態が描き出された.また,子どもを預けなければ働けない状況である一方,集団生活が基本となる保育所では子どもが体調を崩す頻度も多く,休園対応に苦労する声も散見された.保育所の利用にあたっては,厳格な送迎時間が1日のタイムスケジュールを規定している状況が示唆され,夫婦間での送迎役割の分担や,ベビーシッターサービスなどの積極的な利用を推奨する意見が挙げられていた. 投稿内容でひときわ目を引くのが,子育てをする上での息抜きに関する記述である.ここでは,父親の投稿者が自身のリフレッシュや家族で過ごす時間を挙げている点に対し,母親の投稿者は家事や育児から解放された「ひとりの時間・空間」をいかに作り出すかを重視している点が特徴的である.これに加えて,有給休暇等で平日に休みを取得した際に,子どもを保育所に預けることで自身の息抜きの時間を作り出すような例も多くみられた.4. 考察 多くの子育て世帯にとって,保育所の利用は日常生活を維持する上で必要不可欠となっており,保育サービスには従来の福祉的な側面にとどまらず,いつでも・どこでも利用可能な社会インフラとしての側面が求められている.その背後には本報告の事例が示唆するように,依然として母親に育児負担が偏っている状況がある.母親の多くは自身の子育てから解放された時間・空間を必要としており,それは時に,休日に子どもを預けることで実現されている.加えて,保育所には単に預ける以上の役割が求められるようになり,ニーズが相反するような状況も見受けられる. こうした状況に対応を迫られるのは,まさしくサービスを提供する保育所側であり,そこで働く保育労働者である.社会インフラとしての保育サービスを支える保育労働者の就業や生活の状況,保育ニーズの質的多様化と保育所の労働力編成との関係性などを明らかにしつつ,保育サービスの需給構造や社会的再生産をめぐる議論を展開していく視座が求められる.