著者
皇 甫俸 鈴木 博之
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.67, no.562, pp.277-283, 2002
被引用文献数
1

ベルリンに建つフィルハーモニー・コンサートホール(1956〜63)の設計者として有名なドイツの建築家、ハンス・シャロウン(1893〜1972)はフーゴー・へーリング(1882〜1958)、エリック・メンデルゾン(1887〜1953)、ブルーノ・タウト(1880〜1938)とともに一般に表現主義の建築家として知られている。彼らが表現主義の建築家と呼ばれるようになったのは、一般的な建築表現法を脱皮し未来の理想的な空間を絵画的な方法で表現したからである。しかしブルーノ・タウトのグラスチェーン(Glaserne Kette)書簡などに見られるシャロウンの表現主義的性向は、実際に建築物を建てるためではなく、新しい建築の可能性を模索するための幻想的な実験であった。本論文はシャロウンの建築を単に表現主義として記述している近代建築史編纂の不合理性を指摘するものである。1920年代にシャロウンが設計した二つの作品は、近代建築の概念を構成する主な要素である機能性と合理性を満足させる優秀な建物として、彼の建築を有機的な近代建築として把握するための、実証的な根拠を提供している。また、本論文は近代建築史編纂においてゲシュタルト理論がシャロウンをはじめとする有機主義の近代建築家たちを疎外させることにいかなる影響を及ぼしたかに関しても考察する。近代建築史編纂に絶大な影響を与えたゲシュタルト理論はカント美学に基づき、初期にはR.フィッシャー(1847〜1933)の象徴主義とC.フィードラー(1841〜1895)の形式美学により互いに対立する様相を呈していた。しかし、フィードラーの形式主義がH.ヴェルフリン(1864〜1945)とS.ギーディオン(1888〜1968)に継承されて以来、近代建築史は形式美学を基幹として記述されるようになる。特に新即物主義(Neue Sachlichkeit)概念の登場は1920〜30年代の主流である機械美学と組み合わされることによって、近代建築の概念を形式美学的に歪小化し、それに基づく史料編纂をするようになる。シャロウンをはじめとする有機主義者たちの非定型的な建築は形式美学的なゲシュタルト理論の下で客観性が欠如したものと受け止められ、近代建築としての価値の少ないものと理解された。したがって、ギーディオンやペヴスナーといった影響力のある近代建築史家たちは、有機主義の近代建築家たちが実は機能性に根拠を置いているという深遠な実験精神をまともに受け止めることができず、結局シャロウンは表現主義建築家としてのみ記述されるという結果をもたらした。シャロウンの建築は形式美学に基づいた近代建築の失敗以後、ポストモダニズムと脱構築主義など多くの試みのなかでもはっきりとした突破口を見つけることができずにいる現代建築が有効的に省み、応用できる優秀な建築物であると考えることができる。一方、シャロウンがフーゴー・ヘーリングの有機的建築(organisches Bauen)の影響を受けたことは周知の事実である。シャロウンの建築を単に表現主義として分類し、理解することは、シャロウンという建築家個人の建築観を誤って理解することであり、近代建築形成の一つの軸を形成している有機的な近代建築全般を誤解する結果を生む危険がある。