著者
石山 裕慈
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.63-51, 2009-07

従来、字音直読資料は規範性の高い字音注を得られる資料群として重視されてきたが、その一方で漢文訓読資料や仮名交じり文の日本漢字音には見られない特徴がある。すなわち、親鸞自筆『観無量寿経註』においては、同じ文字列を訓読した場合「語頭」として出現すると考えられる箇所で中低型回避や連濁などといった日本語化が発生している例が散見され、直前の文字との間に境界が置かれない場合があったということが読み取れる。このような現象は句の一字目と二字目の間に多く発生しているという特徴もあり、これは漢語全般に二字のものが多いという傾向を反映したものと考えられる。さらに、この傾向は親鸞自筆資料のみならず、同年代の字音直読資料二点においても観察されるのであり、字音直読資料に現れた漢字音とは常に「規範的」と言えるわけではないことが指摘できる。
著者
石山 裕慈
出版者
弘前大学教育学部
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
no.108, pp.9-17, 2012-10

本稿は、室町時代に書写された複数の『論語』古写本に着目し、それぞれの資料に記入された漢字音の清濁について考察したものである。 『論語』古写本においては、韻書全濁字への濁点加点例のような、清濁の原則に必ずしも忠実ではない場合が多々見られる。さらに、同じ漢字の清濁が資料によって食い違っている場合が存するほか、同じ資料の中でも両様の形が出現する例も散見される。また、「漢語」単位で分析した場合も、やはり清濁の揺れが少なくないことが分かる。 一連の考察から、それぞれの字の清濁とはある程度の流動性を帯びたものであって、韻学的知識などをもとに、絶えず「整備」される性質のものであったことが窺える。
著者
石山 裕慈
出版者
弘前大学教育学部
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
no.107, pp.7-14, 2012-03

本稿は、高山寺に蔵される『荘子』古写本7巻(甲巻5巻、乙巻2巻)に記入された字音点を対象として、国語学的見地から考察したものである。先行研究ですでに気づかれているとおり、本資料に散見される反切・同音字注などは、基本的に『経典釈文』によっており、場合によっては原初形と思われる記述も見られる。また、直接引用していない場合であっても、声点や仮名音注などに『経典釈文』の内容が間接的に反映されていると考えられる場合も存する。特に反切注から理論的に導き出された「人為的漢音」も存することは、漢字音学習のあり方を考える上で、また『論語』との違いを考える上で見逃せない事柄である。このほか、仮名音注や字音声点の特徴も、同年代の漢籍訓読資料とおおよそ共通しており、大学寮での講読が行われなかった資料であるとはいえ、その位置づけは『論語』などと大差はなかったものと思われる。