著者
平井 聖 水沼 淑子 磯野 さとみ 加藤 仁美
出版者
一般財団法人 住総研
雑誌
住宅総合研究財団研究年報 (ISSN:09161864)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.201-211, 1996 (Released:2018-05-01)

明治維新後,東京の旧大名家の屋敷地の多くは官公庁舎用地や軍用地にされたが,有力な旧大名等の屋敷地の内には公収されず宅地化されたものも少なくなかった。明治末期,東京の宅地総面積の約1/4は,1万坪以上の宅地を所有する100人程度の大土地所有者-旧大名などの華族,財閥,豪商,新興富豪等によって支配されていた。この内,旧大名で最大の土地をもっていたのが,旧福山藩主の阿部正桓である。旧福山藩阿部家は,中屋敷のあった本郷西片町(現在の文京区西片1・2丁目)で明治期より賃地貸家経営を行なっていた。本稿では,規模的にも性格的にも東京の宅地形成に影響を与える存在であった大名屋敷跡地の一つである本郷西片町における明治年間の住宅地形成の経緯を阿部家蔵等の史料にもとづき追跡し,基盤整備及び建設家屋の実態,貸地貸家経営のしくみについて解明することを目的とした。その結果,以下の点が明らかとなった。(1)宅地の基盤整備は,従来からの屋敷地内の道路の骨格を基木として道路を開設し宅地割にあわせた街区を形成し,明治後半には下水,水道,瓦斯,電話等が整備されていった。(2)貸地賃家経営の実態として,旧藩士の居住に対し優遇措置を施していたほか,借地人に対し借地上の建設家屋に対し建築費の助成をしたり,借地内の下水や井戸の面積を地代対象面積から差し引いたり,借地上に家屋が末建築である期間の地代を猶予するなど,さまざまな方策を講じていた。(3)建設家屋の実態については,明治10年代の作事関係書類によりその仕様と平面,坪当たり単価等が明らかとなった。(4)宅地及び貸家の維持管理は,家職や差配人,人夫により地主の負担で,道路・下水・井戸・貸家の修繕のほか,防疫から防災や防犯等生活面にいたるまで行なわれていた。今後は,賃地,賃家,建設家屋と居住者の関係,権利移動の実態について解明していく予定である。