著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.39, pp.53-79, 2006

光陰矢の如し―私が初めて磯採集に足を運んだのは大学に入学した1955年の初夏,半世紀も昔の話になる。それまで磯には縁の無かった私がそこで目にした生きものは,ほとんどが初顔だった―潮だまりには黒くて大きなアメフラシ,赤い花を咲かせているケヤリムシやウメボシイソギンチャク,岩陰から黒いトゲを覗かせているムラサキウニ,大きめの石の裏にはアオウミウシやクモヒトデ……。その世界の多彩な生きものたちの魅力に取りつかれて,たびたび葉山や三崎の磯を訪れるようになり,やがては無脊椎動物の発生学に進み,三崎臨海実験所で大学院時代を過ごすことにもなった。 磯採集でもっとも興味をもったものの一つは,さまざまな形態を示す棘皮動物だった。これはヒトデやウニの仲間で,基本的に5を単位とする放射相称の海産動物。これが本稿に登場する役者たちなので,馴染みの薄い方々のために,海浜でよく目にする種類をグループ別にざっと紹介しておく(図1参照)。(1)ヒトデ類:多くは☆型で,中央の「盤」(本体)のまわりに5本の「腕」が伸びている。マヒトデ(図1-(a))が典型的だが,筋目のある縁取りをもつモミジガイ,腕が8本あるヤツデヒトデ,糸巻に似たイトマキヒトデ((b))などもいる。なお,本報では「ヒトデ」を類名に用い,明治期文献のAsterias amurensis(旧称ヒトデ)は「マヒトデ」とした。(2)クモヒトデ類:ヒトデに似ているが,腕が細長く,盤と腕の区別が明確((c))。腕が枝分かれして複雑になっているテヅルモヅル類((d))も見られる。(3)ウニ類:よくイラストに描かれているように,半球状の殻からトゲが沢山出てイガグリのような形をしている普通のウニ((e))のほかに,一見ウニとは思えない姿をしたウニがある。以前は歪形類(不正形類)と呼ばれていたグループで,殻の上面に花形の模様(花紋)が見える。たとえば,円い皿型のカシパン類((f)),その一種で,下面に蓮の葉脈のような溝が見えるハスノハカシパン,5つの穴があるスカシカシパン((g))がある。ほかに,楕円型でやや厚みがあり,殻も頑丈なタコノマクラ((h)),卵形で殻の薄いブンブク類もいる。(4)ウミユリ類:花のような「冠」と,それを支える「茎」がある((i))ので,「ウミユリ」(海百合)の名がついた。これはみな深海性だが,浅い所にはウミシダ(海羊歯)類が生息する。ウミシダは「茎」が無く,盤のまわりにシダの葉に似た腕が10~数10本出ており,盤の下の巻枝で岩にしがみついている((j))。ウミユリもウミシダも,初めて見たら植物と思うに違いない姿である。(5)ナマコ類:サツマイモのような形((k))で,ウニやヒトデとはまったく異なるが,これも棘皮動物。食用にするので名が通っている。「このわた」は,その内臓の塩辛。 上記のウニの仲間に,タコノマクラ(蛸ノ枕,図1-(h))という種類を挙げた。変わった名称なので,何時ごろからそう呼ばれているのだろうと気になっていたが,誰に聞いても知らないし,書物を見てもわからない。仕方なく,そのままになっていた。 1980年代の初め,私は動物発生学から大転換して歴史の方面に道を変えたが,そのとき最初に取り組んだのは,三崎臨海実験所の歴史だった。この実験所は明治19年(1886)に創立されたアジア最初の常設臨海実験所で,日本の動物学発祥の地と言っても過言ではない。そこで,実験所設立後まもなく動物学会が発刊した『動物学雑誌』の報文や記事を調べはじめたのだが,妙なことに気がついた。 当時の『動物学雑誌』には三崎などでの海産動物採集報告が少なくないが,それに登場する「タコノマクラ」が現在のタコノマクラとは違う場合があるのだ。しかも,事は込み入っていて,ある報文ではウニの仲間のカシパン,別の報文ではヒトデ,さらに別の報文ではクモヒトデを指している。もちろん,現在のタコノマクラを指す場合もある。一体全体どうなっているのか,さっぱりわからないままに数年が過ぎた。 そのうち江戸時代に足を踏み込んで,いろいろな資料を調べ始め,そのなかで「タコノマクラ」の名称に再会することになった。そして,「タコノマクラ」の名の混乱は江戸時代にさかのぼることが明らかになってきたので,棘皮動物―当時は「介類」や「魚類」に含められていたが―の記事に出会うたびにメモを取っておいた。 最近そのメモを見直してみると,信頼できる江戸時代資料が40件ほどあり,それに含まれる棘皮動物の記載例は数百に達する。そこで,それをまとめておこうと考えて筆を取ったのが本報である。稿末の表に示した事例は,図あるいは注記の記載内容から現在のどの類に当たるかが判明する場合に限った。また,ナマコは古くから「コ」「ナマコ」と呼ばれ,それ以外の名称はあまり無かったので,本稿には入れなかった。 以下の部分では,この稿末の表に基いてヒトデやカシパンなどが江戸時代に何と呼ばれていたかをまず検討し,最後に「タコノマクラ」の呼称の変遷を考察する。文中の「資料」は,番号にMがつくか,とくに明治期資料と断らない限り,すべて江戸時代資料である。資料名に付した( )中の番号は稿末表の資料番号,西暦年は同表に示した刊年・成立年。 なお,生物名の語源解釈はコジツケになりがちなので,私は原則的に触れないのを基本方針としているが,本稿ではその方針を棚上げして語源に踏み込むことにしたい。それによって,江戸時代の人々の命名の由来がわかるし,また命名の巧みさを感じ取ってほしいと思うからである。
著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.37, pp.33-59, 2005

動植物の記載で年記や地域が明確な事例は,過去の環境や人々の関心のあり方を知る手掛かりとなる。そこで先に動物についての略年表「幕末までの珍鳥奇魚捕獲記録」を本誌に載せ,ペリカン,オオサンショウウオ,マンボウ,リュウグウノツカイなどの捕獲・観察記録をまとめた(磯野2002,第9節)。しかし,漏れた事例もあり,また新資料の調査などで記録が増えたので,事項を大幅に増した年表を作成した。今回は,現在必ずしも珍品ではないが,当時の人々には馴染みの薄かったヨウジウオやコバンザメなども加えた。逆に,当時はありふれていたが,今は姿を消したトキやコウノトリなど現代人にとって珍しい動物も取り上げた。
著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.40, pp.33-49, 2006

1 はじめに2 植物の記述(1)初出植物名(2)初出に準じる用例(3)花銘の類(4)食品類3 動物の記述(1)初出動物名(2)初出に準じる用例(3)鯨の献上(4)白鳥の献上(5)鶴の献上(6)貝覆い4 『言継卿記』5 『山科家礼記』6 おわりに
著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.34, pp.9-21, 2003

原著論文慶長8年(1603)年に本編,翌年に補遺編が長崎で出版されたイエズス会宣教師編『日葡にっぽ辞書』は,3万2千語を収録し,当時の和語を知るための第一級資料である。たとえば,『野菜の日本史』は,『邦訳日葡辞書』を利用して当時の呼称とともに,新たにヨーロッパ人が持ち込んだ数々の野菜を明らかにしている。このような試みは動植物全般に有用であろう。そこで,今回は動物を対象として『邦訳日葡辞書索引』から該当する語を収録,『邦訳日葡辞書』の語釈と解説によって検討・整理した。その上で江戸時代の分類に従って「獣類・禽類・魚類・介類・虫類」の5類に大別し,五十音順に配列したのが次に示すリスト(種名か類名)である。このリストにおいては①広く使われている和語を中心として収録した。たとえば,オシドリについては「おしどり」を選び,「鴛鴦おしどり」の音読み「えんおう」は拾わなかった。また,「獣」・「鳥」などの総称や,想像上の鳥獣名,詩歌語(いなおおせどり=稲負鳥など),婦人語(あかおまな=サケなど)は原則として収録していない。②平仮名の品名は,『日葡辞書』にローマ字綴り方で表記されている和語を,『邦訳日葡辞書』で現代表記の仮名書きに直したものである(リスト以外も同じ)。なお,「魚」の「うお」は口語で「いお」となることがあり,両方の表記が用いられている。③( )内は注釈で,片仮名は現和名(平仮名と同じときは原則として省略),「」を付したのは原注の『邦訳日葡辞書』訳を簡略化したものである。また,獣類の「ちす」のようにその獣が現在の何に当たるか見当がつかない場合や,「あおばい」に対する「キンバエ」のように種名や類名を断定しかねる場合は,「?」を付した。必要に応じて,相当する漢字表記や類名を加え,読みやすいように平仮名に下線を付した場合もある。長文の注釈を要するときは,「*」を付し,注記としてリストの末尾にまとめた。④「あおがえる」「あおがいる」など発音上の小差にすぎない語や,「あこや」「あこやのかい」などの類縁語は,一般的と思われる語を先に置き,「・」を用いて併記した。⑤見出し名や現和名には種名と類名が混じているが,大半は「‥‥類」の表示を省いた。⑥初出と思われる語には,波線を加えた。⑦現和名の推定には江戸時代初頭の辞書・用語集・本草書のほか,鳥名は『日本鳥名由来辞典』,魚名は『日本魚名集覧』,貝名は『日本貝類方言集』,それ以外の動物や全般的な検討には『日本国語大辞典』を参照した。
著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.29, pp.55-65, 2001

江戸時代の日本では独自の博物誌が花開いたが,その軸の一つは薬品会・物産会といわれる展示会であった。その嚆矢は宝暦7年(1757)に江戸で田村藍水が主催した「薬草会」だったが,数年後には大坂や京都でも同様な会が開かれるにいたる。やがて,展示物も薬品以外の動植鉱物に広がるとともに,専門家以外の庶民にも観覧の機会が与えられるようになった。開催地も,のちに名古屋が第四の中心地となる。 ところが,従来は薬品会の年表が無く,いろいろな点で不便を感じることが少なくなかったので,6年ほど前に「薬品会・物産会年表」を作成した(磯野直秀,科学医学資料研究,247号,6-14,1995年)が,その後,それに漏れていた会が相当数あることがわかり,他方では訂正を要する事例もいくつか出てきた。そこで,前報を増訂したのが以下の年表である。残念ながら,江戸・京都・大坂・尾張以外の各地については新しい知見がまったく得られなかったが,その資料発掘は今後に期したい。
著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-14, 2004

江戸時代に入って動植物への関心が高まるが,17世紀末までは本草家・博物家・園芸家などが作成した図譜は少なく,椿・菊など個別の園芸品の図譜(注1)を除けば,多くの種類を描いたものは百科図鑑の『訓きん蒙もう図彙』(1666刊,中村惕てき斎さい)や『五百介図』(1687頃成,吉文字屋浄貞)『草花絵前集』(1699刊,伊藤伊兵衛三之丞)くらいしか知られていない。そこで,17世紀に描かれた画家のスケッチが博物誌にとって有用な資料となる。 たとえば,狩野探幽のスケッチ集『草木花写生』(果蔬草花図巻,東博蔵)については北村四郎の解説(注2)があり,トマトやカボチャなどの渡来品が描かれていることが記されている。その探幽の甥で幕府御用絵師だった狩野常信(木挽町狩野家二世)も『鳥写生図巻』『草花魚貝虫類写生』(ともに東博蔵)の2点を残しており,いずれも優れた博物誌資料であることを拙報ですでに報告した(注3・4)。 これに類する資料に,国立国会図書館蔵『草木写生』があり,一応の調査を行なったので, 本報でまとめておきたい。
著者
磯野 直秀
出版者
日本動物分類学会
雑誌
タクサ:日本動物分類学会誌 (ISSN:13422367)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.14-18, 1999-02-15 (Released:2018-03-30)
参考文献数
3
著者
磯野直秀著
出版者
平凡社
巻号頁・発行日
2012