著者
神吉 和夫 神田 徹 中山 卓
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.97-104, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
29

Ditches are constructed at both sides of a street at the ancient capital cities in Japan. As the streets are laid out in a grid pattern, the ancient cities have the network of drainage by ditches. In this paper, the network of drainage in Nagaokakyo and Heiankyo is discussed. The dimensions and the connection of ditches are made clear using historical literature and the archaorogical excavation data. Considering the topography, the flow of drainage are examined. The character of ditches and the plan of storm water drainage between Nagaotakyo and Heiankyo is different from each other.
著者
神吉 和夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.48-54, 1983-06-24 (Released:2010-06-15)
参考文献数
6

本研究は、わが国における近代水道以前の水道の一つである近江八幡水道の施設構造と水利用形態、創設年および管理運営などについて考察したものである。本水道は、滋賀県近江八幡市の旧市街にあり、井戸を水源として竹などの樋管で導水、各戸の井戸 (溜桝) に貯留利用する複数系統の水道 (地元では水道といわず取井戸あるいは単に井戸と呼ぶ) の総称で、各水道の利用者は仲間・組合を作り、規約を定めてその管理運営を行なってきた。本水道については「滋賀県八幡町史」(八幡町、1940年刊) にその概要が詳述されている。本稿は、「滋賀県八幡町史」を基礎に、現地で得た若干の関係文書・絵図などと本水道の利用者を対象に1982 (昭和57) 年10月実施したアンケート調査結果の一部にもとづいて考察を行なっている。施設構造は扇状地扇端部の砂礫層の浅層地下水を穴を開けた埋設樽で集水、竹などの樋管で導水し各戸の井戸に貯留利用するもので、幹線樋管は単純な樹枝状が多い。浅層地下水利用のため、渇水時には水位が低下し、梅雨期の大雨時には各戸の井戸でオーバーフローを生じる。本水道の基本構造は高野山水道に近い。創設年として「滋賀県八幡町史」では開町当初を強調しているが、ここではその論拠の一部を否定する資料を示し、創設年の再検討を行なう。管理運営では施設の改修、井戸替えおよび料金について触れる。料金で興味深いのは、水源地の村に涼料と呼ぶ源水料ともいえるものを払つていることで、地下水を私水とみる考えによると思われる。本水道は1953 (昭和28) 年近代的上水道の布設により利用が滅り、多くの組合は自然消滅している。しかし、一部の組合は現在も存続し、雑用水を主体とした水利用が行なわれている。
著者
神吉 和夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.177-191, 1993-06-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
42

玉川上水は武蔵野台地の開発と江戸の都市用水の供給を担った1654 (承応3) 年創設の一大用水である。本稿では、江戸市中の配水区域の地形と江戸時代中期から幕末にかけての玉川上水の江戸市中における構造と給水形態に関する史資料を用い、江戸市中における玉川上水が水工構造物としてどのような構造をもつか、また、水の配水先、給水形態からその機能が何かを明らかにしようと試みた。玉川上水の江戸市中での配水区域は江戸城、大名屋敷、武家屋敷など武士階級の居住地が大部分を占め、玉川上水は生活用水、泉水用水、防火用水、濠用水、下水用水等の多機能施設であった。台地に位置する江戸城、大名屋敷では生活用水としての機能は低い。武蔵野台地と同様、江戸市中でも、幕府が幹線を建設し、その分水として大名屋敷への給水が行われ、分水口断面が重要な計画要素である。1722 (享保7) 年の玉川上水の青山・三田・千川の三上水への分水の廃止は、玉川上水の構造と機能からみて、武蔵野新田の町人請負開発を募集する幕府の決意を不要都市用水の廃止で示したもので、江戸市中の防火用水としての機能の限界から、都市用水としての必要性が低くなったことが背景にあると思われる。
著者
神吉 和夫
出版者
神戸大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1994

1.四上水の実像について「玉川上水大絵図」(東京都公文書館)、「正徳末頃ノ上水圖」等の絵図史料と江戸の都市図、『東京市史稿上水篇』第一、第二、『復刻 千川上水』、『江戸の上水と三田用水』、『本所区史』等の資料を用い、四上水の実像(配水区域、上水配管、分水断面)を具体的に明らかにした。2.四上水廃止と江戸の災害・防火政策との関係について江戸の災害(火災と水害)について『東京市史稿 変災篇』、吉原健一郎「江戸の災害年表」を基礎資料に用い、また、防火政策については池上彰彦「江戸火消制度の成立と展開」を基礎資料とし、四上水配水区域の災害を分析した。千川上水は江戸城の防火対策、本所上水は水害が廃止の理由として指摘できる。3.四上水廃止と武蔵野台地での新田開発の関係について「正徳末頃ノ上水圖」と『上水記』を比較して、亨保・元文期の武蔵野台地での新規の新田開発が、(1)千川・三田・青山三上水の上流側で行われている、(2)新規の取水量が廃止された三上水のそれより少ないことを明らかにした。この過程で重要な役割を担ったのが大岡越前守忠相であった。4.室鳩巣『献可録』の建言について室鳩巣『献可録』の建言の内容を詳細に検討し、(1)従来いわれてきた水道火災原因説は建言の一部である、(2)火災の原因について的確に把握している、(3)江戸城の火災対策として城の北方の水道、および南方の水道を撤去したいと主張したものであることを明らかにした。また、既往の研究が建言の水道火災原因説のみを取り上げ、その拡大解釈を行ったこと、通説は『中嶋工学博士記念 日本水道史』を嚆矢とし、『東京都水道史』で確立し『日本の上水』で広まったことを明らかにした。