著者
福武 慎太郎
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

コーヒーチェリー栽培をおこなう東南アジア島嶼部の高地民の暮らしについて、1)コーヒーチェリー栽培導入の歴史的経緯と貨幣経済の浸透、2)贈与交換経済と貨幣経済の関係について、現地調査と文献調査に基づき考察した。東南アジアの高地社会では、植民地統治が本格化する20世紀初頭まで貨幣使用は限定的であり、少なくとも1980年代まで贈与経済が優勢であった。独立後の東ティモールでは、コーヒー・チェリー栽培の収益への経済的依存が高まっている一方、贈与経済は根強く、市場経済と贈与経済の並存が高地民の生活を圧迫していることが明らかになった。
著者
福武 慎太郎
出版者
上智大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

2002年に正式独立を果たした南洋の島国、東ティモール民主共和国のナショナリズムに関連する問題について、現地におけるフィールドワークと文献調査で得られた知見にもとづき考察をおこなった。東ティモールの公用語であるテトゥン語を共通言語とし、カトリック信徒で、かつティモール島南部にかつて存在した王国とのつながりを共有するテトゥン社会は、東西国境をはさみ合計50万人規模であり、人口100万人の東ティモールにおいてけっしてマイノリティではない。親族や姻戚関係、そして商業目的での国境の往来は頻繁におこなわれており、「東ティモール人」アイデンティティを理解する上で重要な文化圏であるとの見解に至った。
著者
福武 慎太郎
出版者
上智大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2004

2005年7月後半より約1ヶ月間にわたって東ティモールにおいて現地調査を実施した。インドネシアと国境を接するコバリマ県スアイ周辺村落において、当該地域の歴史および社会構造を把握するために、リアアダットと呼ばれる長老たちにインタビューを実施した。言語と慣習法を共有するインドネシア側の東ヌサトゥンガラ州ベル県おいてもインタビューを実施し、国境をこえた共同体の歴史と現在の親族ネットワークの拡がりについて考察するためのデータを収集した。当該地域では1999年の東ティモール住民投票後の騒乱の結果、東ティモール側の住民の大半が難民としてインドネシア側へと避難し、難民の大半は親族を頼って村落部に居住した。調査の結果、東ティモール側のスアイの人々が難民としてインドネシア側に移動するのはこれがはじめてではなく、20世紀前半におこった反植民地闘争の時以来、今回で4度目にあたることが判明した。数度にわたる大量移動の結果、東ティモール出身の人々による村々がインドネシア側国境周辺に形成された。結果として当該地域における難民は、難民キャンプに居住せず、血縁関係のある村へ避難した。国連機関UNHCRによる難民支援は、難民キャンプを中心に実施されたため、村へ避難した人々に支援物資や情報は届きにくかった。また支援活動が独立派と反独立派という図式の中で実施されたことも、インドネシア側と血縁関係があることから反独立派とみられた住民に対し、支援が届きにくい要因となっていた。帰国後、これらの調査で得られたデータを整理し、学会誌への投稿論文の草稿を執筆した。