著者
稲村 光郎
出版者
一般社団法人 廃棄物資源循環学会
雑誌
廃棄物学会研究発表会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.18, pp.9-9, 2007

戦時下(1937-1945)における資源回収は、国の主導により、主として日中戦争時には貿易収支上に生じた不足物資の補填策として、太平洋戦争開始以後は軍需産業への金属集中のために行われた。全体としては半強制的な雰囲気下で行われているが、43年に実施された非常回収は「国家総動員法」に基づいた強制的な企業整備と一体的になされたもので、非軍需工場を土地・建物・人員ぐるみ軍需産業へ転用し、設備を金属回収するというものであった。その結果、主対象とされた繊維工業全体では鉄量換算で約百万トンあった設備のうち、約七十万トンがスクラップ化されたと推定されている。他方、一般家庭では金属類に加え、木炭空俵や酒びんなどの引換え回収、さらには末期には生活必需品の不足をもたらすほどのアルミ回収が行われたが、その実施には町内会・隣組が国家組織の末端として再編成、育成され利用された。これらの結果、戦時中の鉄くず回収量は戦前のそれに比べてても高い水準であった。また戦後、町内会の復活とともに古紙回収率が世界レベルまで高まった要因として、一般家庭のこの体験を通じた学習効果が考えられる。
著者
稲村 光郎
出版者
一般社団法人 廃棄物資源循環学会
雑誌
廃棄物学会研究発表会講演論文集 第18回廃棄物学会研究発表会
巻号頁・発行日
pp.9, 2007 (Released:2007-11-23)

戦時下(1937-1945)における資源回収は、国の主導により、主として日中戦争時には貿易収支上に生じた不足物資の補填策として、太平洋戦争開始以後は軍需産業への金属集中のために行われた。全体としては半強制的な雰囲気下で行われているが、43年に実施された非常回収は「国家総動員法」に基づいた強制的な企業整備と一体的になされたもので、非軍需工場を土地・建物・人員ぐるみ軍需産業へ転用し、設備を金属回収するというものであった。その結果、主対象とされた繊維工業全体では鉄量換算で約百万トンあった設備のうち、約七十万トンがスクラップ化されたと推定されている。他方、一般家庭では金属類に加え、木炭空俵や酒びんなどの引換え回収、さらには末期には生活必需品の不足をもたらすほどのアルミ回収が行われたが、その実施には町内会・隣組が国家組織の末端として再編成、育成され利用された。これらの結果、戦時中の鉄くず回収量は戦前のそれに比べてても高い水準であった。また戦後、町内会の復活とともに古紙回収率が世界レベルまで高まった要因として、一般家庭のこの体験を通じた学習効果が考えられる。
著者
稲村 光郎 八木 美雄
出版者
一般社団法人 廃棄物資源循環学会
雑誌
廃棄物資源循環学会研究発表会講演集 第22回廃棄物資源循環学会研究発表会
巻号頁・発行日
pp.58, 2011 (Released:2011-11-07)

わが国の本格的な集団回収は、戦時体制下に生まれ、それは主として民間団体によるもので回収業者との軋轢もあったが、1937年からの国民精神総動員運動を背景に活発化した。しかし、国は不祥事を契機に抑制方針をとったが、一部の地方では婦人層や青年層を主体とする取組みが続けられた。1941年以後の、全国的に実施された町内会等による金属類の「特別回収」は、横流しを警戒し行政末端機構として行ったものとみられる。併せて、当時、米国で行われたコンテスト方式を紹介し、多様な方法があることを示した。