- 著者
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笹川 尚紀
- 出版者
- 京都大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2005
『古事記』によると、第8代の天皇・孝元と第9代の天皇・開化の后妃として穂積氏出自とされる女性が確認される。孝元は穂積臣等の祖である内色許男命(ウツシコヲノミコト)の妹・内許売命(ウツシコメノミコト)との間に開化を儲ける。また、内色許男命の女・伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)と婚姻関係を結んでいる。そして、開化は庶母である伊迦賀色許売命を娶って第10代の天皇・崇神を得ている。一方、『日本書紀』に眼を移すと、孝元は穂積臣の遠祖である欝色雄命の妹・欝色謎命との間に開化を儲けたとみえ、『古事記』と合致する。ところが、孝元の妃となった後、開化の后となって崇神を儲けたとされる伊香色謎命は、穂積氏と同祖関係にある物部氏の遠祖・大綜麻杵(オホヘソキ)の女と記されており、『古事記』の系譜とは明らかに食い違っている。平安時代前期に成立した『新撰姓氏録』、および『先代旧事本紀』巻第五「天孫本紀」から、穂積氏・物部氏の氏族系譜が押さえられ、これらと比較検討したところ、『日本書紀』にみえる大綜麻杵は、『古事記』崇神段などにみえる美和(三輪)の地名起源譚をもとに物部氏によって造作されたものと想定される。さらに、これまであまり取り上げられることのなかった「因幡国伊福部臣古志」に記される系譜に着目した結果、『日本書紀』よりも『古事記』の系譜の方がより古くに成立したものと推断される。それでは、先の系譜が『古事記』編纂の素材である「帝紀」にいつごろ定着したかであるが、種々の史料を分析した結果、舒明朝の修史事業の際がもっとも穏当ではないかと考える。『日本書紀』と比べると、『古事記』では大化前代に勢力を誇った物部氏の系譜・伝承が極端に少ない。かような背景としては、舒明と対立関係にあった蘇我蝦夷の母が物部守屋の妹であり、このことが『古事記』の素材である「帝紀」および「旧辞」に物部氏の系譜・伝承を採録する障碍となったと推察される。