著者
篠崎 榮
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.111-134, 2002-03-20

この論文で扱うのは、プラトンの『国家』篇にいたる初期対話篇群を総じてどのように読むかという問題である。第一部では、アレテー(徳)を探求するプラトンの初期対話篇のいくつかで語られる<善と悪の知>という表現が正確には何を意味しているのかを考える。つまり、アレテーの発揮は専門技術知との類比が効かなくなる場面でのことだが、そこでの<知>とは何なのか。第二部では、正義と呼ばれる徳をめぐるプラトンの思考がソクラテス的問いからの必然的な帰結ではないことを示して、プラトンの正義論が逸したものが何であったかを見て、正義とはいかなる価値なのかを考えたい。
著者
篠崎 榮 シノザキ サカエ Shinozaki Sakae
出版者
熊本大学
雑誌
熊本大学教養部紀要 (ISSN:03867188)
巻号頁・発行日
vol.20(人文・社会科学編), pp.113-124, 1985-01-31

この小論の目標は、その関連を可能な限り解き明かすところに設定されている。そのことを通して、我々にとって正義の理念の探求と、幸福な生を生きたいという欲求との調和は、どのようにすれば達成可能なのかということを考察してみたい。人生が全くの不条理であるとの立場に立たない限り、この正義と幸福の調和は探求するに値する課題であるのだから。
著者
篠崎 榮
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.19-32, 2000-03-20

この論文で考えることは、「神の像(imago Dei)」という聖書の表現が、「人間とは何か」を考えるうえで、今日どれほどの哲学的・人間学的な意義をもちうるか、ということである。
著者
篠崎 榮
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.1-17, 2003-03-20

In this essay I discuss Plato's conception of justice in the Republic. In the first part I summarize the main idea of Plato's answer to the question 'What is justice?' referring to N.O.Dahl's paper. In the second part I ascertain Plato's conception of justice by focusing on the passage where the duty of descending the cave is imposed on philosophers. In the final part I criticize Plato's conception of governance that politics is the remaking of people's souls and social institutions.はじめにこの論文で私が何を論じるかを述べておきたい。論文は三つの部分からなる。第Ⅰ部では、『国家』篇の全体で、そのテーマである正義がどのように論じられ、<正義とは何か>という問題に対するその回答は如何なるものであるのかを、読み取る。第Ⅱ部では、特に何人かの解釈者にとって作品の整合的読解の試金石になってきた7巻の哲学者に課せられる<洞窟への下降義務>を正確に理解することを通して、正義とは何であったのか、をいっそう明確に読み取る。第Ⅲ部では、この正義についてのプラトンの考え-政治とは社会制度と人間の魂をイデア界の最美の秩序をモデルにして作り直すことであるという見方-を、ハンナ・アレントの批判を手掛かりにして検討する。