著者
紺谷 由紀
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.125, no.6, pp.1-36, 2016 (Released:2018-10-05)

紀元後四世紀以降の後期ローマ帝政期の皇帝たちは、発達した宮廷機構の内部に多くの宦官―去勢者―を有した。このような去勢者に関して本稿は、法史料、特にユスティニアヌス一世(在位五三七~五六五年)治世の法集成である所謂『ローマ法大全 Corpus Iuris Civilis』に収録された紀元後二―六世紀の法学者の見解や勅法を分析し、去勢者や生殖不能者の法的位置付け、起草者たる法学者、皇帝、中央行政の去勢認識の明確化を試みた。中でも、従来看過されてきた去勢者と奴隷・被解放自由人という法的身分との関連、並びにユスティニアヌスの法典編纂事業に伴う規定の変化に注目し、用語(一)、去勢奴隷に関する規定、帝国内の去勢を禁止する勅法(二)、そして被解放自由人に関しては婚姻や養子、相続をめぐる去勢者の法的能力(三)の問題を考察した。 結論は以下の二点に集約される。第一は、過去の規定の整理や新しい勅法の発布を伴う大規模な編纂事業が去勢の規定の変化に大きな影響を及ぼしたという点である。中でもユスティニアヌス治世には奴隷・解放奴隷の法的地位の向上が確認されるが、この傾向が同じ身分に属する去勢者の規定を左右する背景の一つであったと指摘した。二点目は、去勢に対する立法者の多様な認識である。去勢行為は、その死亡率の高さから殺人や傷害、隷属化の手段として認識される一方、去勢者は、生殖不能の一種として生殖器の損傷を受け、将来的に実子を持ち得ない者とみなされた。他方、法史料における去勢者の評価に関しては、叙述史料の非難、偏見にみられるような否定的なものではなく、むしろ一定の帝国内の去勢者の存在を許容する寛容なものであった。以上の法史料の分析は、去勢者が、先行研究で強調されるような宮廷宦官という社会的役割でなく、生殖器の損傷や生殖不能という根本的な身体の状態に第一に結び付けられていたことを明らかにし、結果としてより広範な帝国社会の去勢者研究を喚起する。