著者
能津 和雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>1.はじめに</b><br>&nbsp; 2016年4月14日の前震、16日の本震の2度にわたって震度7を記録し、1900回以上の揺れを感じた熊本地震は、各地で交通途絶を引き起こした。特に熊本県阿蘇郡南阿蘇村の立野地区における大規模な土砂崩れは、熊本市から阿蘇市を経て大分市に至る主要交通路である国道57号線とJR豊肥本線に甚大な被害をもたらした。中でも国道については従来ルートでの原状回復を断念して、別途北側に復旧ルートを建設することが決定している。<br>&nbsp; このような状況は、九州における一般的な観光形態である周遊型観光に大きな支障をきたしている。特に阿蘇方面と熊本市内方面を組み合わせた周遊ルートは、貧弱な迂回路への交通集中に伴う渋滞が常態化していることもあって、積極的な利用促進ができない状況にある。一方、「熊本地震」のネーミングが観光客に与えた影響は甚大で、熊本県内のみならず、地震の被害を受けていない九州の他の地域にまで風評被害をもたらした。<br>&nbsp; 自然災害による影響は、物理的な損害のみならず、風評被害に代表されるように間接的な被害を受けることも多い。本報告では、九州における周遊型観光の目的地のひとつとして著名な熊本県阿蘇郡南小国町に所在する黒川温泉を事例として取り上げ、熊本地震の影響を検証する。 <br> <b>2.黒川温泉の概要と周遊型観光での位置付け</b><br>&nbsp; 黒川温泉は400年以上にわたる長い歴史を持っているが、全国的に有名な観光地になったのは比較的最近のことである。高度成長期には1964年に開通した九州横断道路が、4kmほど東側に位置する瀬の本に通じたことから、それに便乗して旅館が開業したものの、この時は定番の観光地として定着することができなかった。しかし、1980年代から各旅館が競って露天風呂を作ったことで観光客から注目を浴び、一躍全国区の人気を得ることとなった。その際、旅行会社により前述の九州横断道路を活用したツアーが造成され、他の阿蘇地域の観光地とは切り離された形で周遊型観光に組み込まれた。このため、黒川温泉は熊本県に所在するにもかかわらず、これまで大分県の由布院や宮崎県の高千穂と組み合されることが多かった。もっとも近年では、阿蘇くじゅう観光圏の枠組みで2011年3月から1年間にわたって行われた「阿蘇ゆるっと博」に黒川温泉も参加したことから、熊本県阿蘇地方の一部としての認知度を上げることに成功している。 <br> <b>3.熊本地震が黒川温泉にもたらした影響</b><br>&nbsp; 今回の熊本地震により、黒川温泉においても29軒中3軒の旅館が3ヶ月以上の長期休業を余儀なくされているが、他の旅館での被害は軽微であり、ゴールデンウィーク中にはほぼ通常営業に戻った。しかし、阿蘇経由の熊本市方面からのアクセスが不便となったうえに、福岡方面からの代表的なドライブルートであった国道212号線が熊本県境に近い大分県日田市南部で土砂崩れによる通行止めになったことで、黒川温泉へのルートが不通になったと解釈されたことから訪問客は激減した。一方、九州横断道路については大きな被害はなかったものの、このルートを利用するツアーが軒並み中止されたうえに、定期観光バス「九州横断バス」のうち4往復中3往復が運休したことから、訪問客の減少に輪をかける形となった。その結果各旅館の収入が激減し金融機関から緊急融資を受けたり、宿泊客がいないことにより一時的に休館に追い込まれる旅館も見られた。このため、観光地としての黒川温泉は直接的な被害よりはむしろ、風評被害などによる間接的なダメージの方がはるかに大きかった。 <br> <b>4.今後への展望</b><br>&nbsp; 熊本県観光連盟は阿蘇地域における道路の不通区間を明示したうえで、代替ルートを案内した地図を作成し、6月から各地で配布することで観光客の呼び戻しに力を入れた。また、黒川温泉が所在する南小国町観光協会では、大分自動車道九重インターからの代替ルートを実走した様子を早送りビデオ画像でネット上に公開し、その周知に努めた。さらに7月1日から国の補助金により九州での旅行が割安になる「九州ふっこう割」がスタートした。加えて黒川温泉観光旅館協同組合では、大分県由布院温泉と連携して観光客の誘致に乗り出した。これらの取り組みが功を奏し、7月以降は黒川温泉でも営業しているすべての旅館が満室になる日も出ている。しかし、この事象はあくまでも一時的なものであり、今後の本格的な復興までに長い時間がかかることを考慮すれば、今のうちから長期的視点に立った観光振興を考えるべきである。その際には訪問者の発地別の需要を見極め、交通手段のあり方を再検討したうえで、それに対応した供給を行うことが重要である。 <br> ※本研究はJSPS科研費26360076(研究代表者:能津和雄)の助成を受けた研究成果の一部である。