著者
西田 真樹
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.A25-A51, 2000-03-31

三河国渥美郡の田原藩と尾張藩とは、政治・経済・文化において多角的な交流があった。経済面では、尾張の経済力が新田開発や大名貸しや取引・出店において活動の場を田原に得ており、田原は産物の売り込み先の一つに尾張を据えていた。文化面では、尾張の高い技術が田原藩および藩主を満足させた。尾張の医者・大工・鍛冶・紺屋・黒鍬は、その技術にたいする田原からの信頼に十分に応えた。はるばる来演する芸人は田原領民に歓迎されていた。しかし、博打打ち・尾州浪人・小悪党は尾張からの頽廃文化の来襲であり、遊山客の享楽とともに、田原藩には迷惑このうえなかった。渡来する神も田原士庶の信仰心を満足させる反面、祭のもつ非日常性には藩は為政者として向き合わねばならなかった。政治面では、尾張藩主に礼をつくす機会に恵まれることもあったが、漁業権や司法権をめぐり、また海難救助に際し、藩役所・役人同士の接触がほとんどで、いずれにしても田原藩からの謙譲の配慮が提示された。田原藩にとって尾張藩は単なる大藩ではなく、「公儀」相当の特別な藩であった。
著者
岸野 俊彦 西田 真樹 鈴木 重喜 松田 憲治
出版者
名古屋芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

本研究は、尾張藩研究の現状が、個別「分野史」に偏り、また「自治体史」により総合化の視点が分断された状況を克服し、個別分野史を総合的に捉えること、現代の自治体によって分断され見えにくくなっている尾張藩という個別藩を近世社会の実際の結び付きの中で、出来る限り総合的に復元するという最も原初的方法によって明らかにすることに力点を置いた。本研究上の意義は、方法論的にはこうした素朴な方法こそが、現在の個別藩研究の上では「新しい」方法であると提起するところにあり、「総合化」をキーワードに研究を統合するところにある。同時に大学等研究機関に所属せず、地域に密着して研究に従事する研究者を組織し、これまで蓄積された個々の知見を「総合化」のキーワードの下に研究内在的にも「総合化」し、新たな研究上の成果の構築に寄与する組織を恒常的に編成することである。上記二つの研究上の意義は支配構造に限らない尾張藩の地域社会や文化構造も視野に入れた新しいスタイルの個別藩研究の成果として『尾張藩社会の総合研究』(2001年3月20日刊、清文堂出版、総頁数600頁)として完結した。