著者
角田 清美
出版者
駒澤大学文学部地理学教室
雑誌
駒沢地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
no.22, pp.p207-222, 1986-03

秋留台地における地形・水理地質および不圧地下水の調査を行った。平井川と秋川によって形成された秋留台地は全部で9段の河岸段丘から構成される台地で,台地の主体は秋留原面である。秋留原面は厚い段丘礫層からなり,層厚0.5〜2mの関東ローム層におおわれている。関東ローム層内には立川ローム層内の上位暗色帯が挾まれているところから,秋留原面は武蔵野台地の立川面に対比される。同様に,暗色帯を挾まない褐色ローム層におおわれる新井面は青柳面に対比される可能性が強い。横吹面・野辺面・小川面は黒色腐植層におおわれるところから,これらの段丘面は拝島面に対比されると考えられる。一方,東秋留の前田耕地遺跡は先土器時代終末あるいは縄文時代初頭の遺跡で,遺物は段丘礫層の表面から出土し,腐植物や小礫などを混じえる粘土層におおわれている。このことは,約10,000年前の小川面はすでに段丘化し,少なくとも当時の人々が石器を生産できるような環境であったことを示している。小川面は関東ローム層におおわれない段丘のうちでは分布範囲が最も広いことから,この時代の秋川および平井川は比較的安定していたと考えられる。小川面より下位には寺坂面・牛沼面・南郷面・屋城面が形成されているが,段丘の発達は悪く,また段丘堆積物の層厚も2〜4mにすぎず,侵食段丘である。秋留台地のほぼ中央には,伊奈から平沢にかけて地下水谷がのびており,地質柱状図から判断すると埋積谷と推定される。埋積谷堆積物は秋留原面を形成する段丘礫層と考えられる。地下水谷の南には,地下水谷とほぼ平行に地下水の尾根がのびており,低水時には地下水の尾根を分水界として不圧地下水の流動方向は大きく異なる。地下水の尾根より南側においては,不圧地下水は段丘礫層を透水層として,全体として南から南東方向に流れ,地下水面が下位の段丘面より高位置のところでは湧泉を出現させている。殿沢・御滝堀・蛙沢・舞知川は段丘崖下の湧泉を水源とする小河川である。地下水の尾根より北側では,不圧地下水は平井川の河川水によって涵養され,地下水の谷を通って台地の東端の平沢一屋城一小川にかけての段丘崖で湧出している。一方,豊水時には地下水谷には大量の地下水が流入し,あふれてしまうため,地下水谷は認められない。伊奈丘陵から台地東端の屋城まで地下水の尾根が形成され,地下水は地下水の尾根から北東あるいは南東方向へ流下する。平井川に沿う段丘崖では各地に湧泉が出現し,また秋川に沿う段丘崖においても,大量の地下水が湧出する。
著者
角田 清美
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.15-23, 1978 (Released:2010-04-30)
参考文献数
28

In this paper, the writer attempts to make clear both the history of the formation and the morphological features of the Byóbusan sand dune region in the northernmost part of the Honshu Island.The following results are obtained.The Byobusan region consists of two terraces, about 10 meters and 20 meters higher than the present sea level. The latter is called the Yamadano terrace, which was formed during the stage of the higher sea level in the Shimosueyoshi transgression (in the Monanstrian age), and the former is called the Dekishima terrace (in Holocene age). On certain parts of the Yamadano terrace, the Old dune was formed in Pleistocene, and covered by the Iwaki volcanic ash layer. At that time, the prevailing winds were blowing from the west, just as at the present time.The Younger dune in Holocene, covers about two-thirds the area of the Byobusan region. Most of it was formed since the Yayoi period. Some parts of it were formed since 1948, when strong prevailing winds blew sand grains to creep up the cliffs or gullies, and formed transverse dune, on both Yamadano and Dekishima terraces.To the lee of transverse dunes, U-shaped dune and parabolic blowout dunes were developed and migrated downwind. Longitudial dune ridgs were developed finally by the erosion of parabolic blowout dunes. Sand dunes are commonly arranged in chains extending downwind from the source drifts. Thus the developement of sand dunes is related to the shifting speeds of sand dunes and the supply of sand grains.
著者
角田 清美
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.15-41, 1980-03

武蔵野台地西端部の地形は上位から三ツ原面・藤橋面・原今井面・新町面・青梅面・竹ノ屋面・天ケ瀬面・千ケ瀬面・林泉寺面・郷土博物館面に区分され,また霞川低地に沿っては沖積低地が分布している。三ツ原面・藤橋面・原今井面は南関東の下末吉面・小原台面・三崎面にそれぞれ対比され,新町面は立川面に,青梅面は青柳面に,竹ノ屋面は拝島面にそれぞれ相当する。青梅面より上位の段丘は層厚20m以上の厚い段丘礫層からなり,関東ローム層におおわれている。竹ノ屋面より下位の段丘は多摩川に沿って分布し,規模は小さく,また段丘礫層も薄い。調査地域の地下水は霞川低地を涵養源とし,そこから南東方向へ流下し,大塚山から三ツ原へのびる地形の分水嶺を越えて流れている。地表から地下水面までの深度は三ツ原地区や青梅線に沿う地区で深く,霞川低地帯や千ケ瀬面で浅くなっている。地下水面の季節的変化についてみると,台地上では4月の測水時に最も深く,10月に浅くなっている。このような変化は降水量の年変化とほぼ一致している。霞川低地帯や千ケ瀬面では,滞水層の透水性がいいために地下水位の季節的変化は小さく,むしろ降水に伴う短期間の変動が大きい。地下水温にほぼ一致すると考えられる井水温は,関東ローム層におおわれた洪積台地と霞川低地・千ケ瀬面とでは異なっている。洪積台地での井水温は15℃前後となっており,年間を通じて変化が小さく,特に新町面・青梅面での年変化は約1℃以下である。これに比べて千ケ瀬面では12℃から18℃まで,霞川低地帯では10℃から19℃近くまで変化し,季節的変化が大きい。井水面水温と井底面水温とでは,一般に井水面水温の方が高いが,場所によっては4月に井底面水温がわずかに高くなっているところもある。これは気温の影響によるもので,関東地方ではおよそ14〜15℃とされている地中温度よりも気温が低くなり,そのために大気と接する井水面水温が下るためである。井水面水温に比べて井底面水温は気温の影響を受けにくいため季節的変化が小さいが,井戸の総深や湛水深との関係はほとんどないようである。調査地域西端付近の勝沼3丁目・南部氏宅で,1976年3月18日から1977年1月24日までの313日間にわたり,水位・井水面および井底面の水温の測水を行なった。その結果によると,水位の変化は主として数日間における降水量に大きく支配され,1回の降水量が20mm以下の場合には相関関係は認められないが,降水量が20mm以上になると,およそ降水量10mmに対して20cmの割合で水位は上昇している。井水温は井水面で15.5〜16.8℃,井底面で15.5〜16.0℃を示し,調査期間中に大きな変化は認められなかった。この報文を作成するにあたり,調査の機会を与えられた青梅市自然環境調査団(団長・米光秀雄氏),観測器具の使用を快く許可され,また御指導していただいた駒沢大学地理学教室・長沼信夫教授,気象観測資料を提供された東京都水道局水源林事務所,そして約300日間にわたる測水を快く許可された南部昇氏,以上の方々に末筆ながら厚くお礼申し上げます。なお,南部氏宅における日々の測水は,主として妻・達子が行なった。この報文を,故多田文男先生の御霊前に捧げます。
著者
角田 清美
出版者
駒澤大学文学部地理学教室
雑誌
駒沢地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
no.32, pp.69-81, 1996-03