著者
鄭 翔
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.151-170, 2018

第二次世界大戦においてナチスドイツはユダヤ人に対して人類の歴史上でも類をみない卑劣な民族絶滅を実行した。ナチス幹部やその追従者の責任追及は戦後のドイツにとって重く困難な課題であった。ナチスの指導者であったヒトラー,最高幹部であったゲッベルス,ヒムラーらはすでに自殺していたが,ボルマン,ゲーリング,ヘスらは国際軍事法廷で裁かれた。その後も多くの関与者が国内法に基づいて訴追され,刑法においては主として謀殺罪(ドイツ刑法211条)の解釈とその共犯の成否をめぐって様々な議論が続けられてきた。もっとも年月の経過に伴う被疑者の高齢化,証拠による立証の困難性,政治状況の変化等の事情から,ドイツの裁判所で審理される件数が次第に減少し,近年では2011年のLG判決が目につく程度である。本件はしばらく顕在化しなかったSS隊員の裁判として社会の耳目を集めたようである。そこで,本稿は本決定の刑法解釈論上の問題点を明らかにしたうえで,それ以外の問題について,これまでに参照した評釈を紹介したいと思う。
著者
デュトゲ グンナー 海老澤 侑 鈴木 彰雄 谷井 悟司 鄭 翔 根津 洸希
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.47-73, 2018-12-30

本稿はProfessor Dr. Gunnar Duttge, Die „geschäftsmäßige Suizidassistenz“ (§217 StGB): Paradebeispiel für illegitimen Paternalismus!, in: ZStW 2017; 129(2), S. 448-466を筆者の許諾を得て翻訳したものである。 ドイツでは,近年,刑法217条「業としての自殺援助」の規定について,学問の枠を超えた議論が活発に行われている。本規定は,ドイツにおける自殺援助団体の活動が顕在化した際に成立したものであり,その点で,自殺の手助けが一種の「通常の健全なサービスの提供」になってしまうことや,「一定の(場合によってはたとえ無料でも)業務モデル」として定着してしまうことを防ごうとしたものといえる。しかし,近時下されたOLG Hamburg決定は,現実が真逆であることを物語っている。 本規定に自殺防止の目に見える効果が認められずまた,自殺を希望する者は,ドイツ以外の自殺援助サービスを用いるようになる。そのため,本規定は,自殺の予防につながるものではなく,結局のところ,自殺傾向というものは,個々人を具体的に分析してはじめて,治療的介入による緩和が可能となるのである。 刑法217条は,価値合理性の観点からは自由侵害性が高く,目的合理性の観点からは適切でないどころか,大きな害にすらなるとまとめざるを得ない。本来,刑罰を正当化するためには,問題となる行為に現実的な侵害リスクが内在していなければならない。また,自殺の意思決定を何らかの方法で容易にすることがただちに当罰的不法とされてはならない。加えて,「業務性」の著しい曖昧さを排除することも,今後同条を適用するにあたって重要となるであろう。