著者
鈴木 奈生
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.32, pp.29-35, 2016-03

本稿は、棚橋正博氏の著書『黄表紙の研究』(若草書房、一九九七年、四一四頁、ISBN4-948755-11-7)の書評である。黄表紙とは、近世期の絵入り小説である草双紙の一時期の形態を指す。一般に、安永四年から文化三年にかけて出板されたとし、時代に応じて内容や作者を変化させつつ多くの作品を提供した。本書は、その黄表紙に関する八つの論考を所収する。棚橋氏は、『黄表紙総覧』の著者でもあり、本書ではその成果を踏まえた上で、新たに黄表紙に関わる諸問題について論じている。本稿では、まず黄表紙の特色について触れ、構成・内容を要約した上で、成果と問題点について指摘する。
著者
鈴木 奈生 スズキ ナオ SUZUKI Nao
出版者
千葉大学文学部日本文化学会
雑誌
語文論叢 (ISSN:21878285)
巻号頁・発行日
no.29, pp.17-36, 2014-07

寛政六年(一七九四)に出版された山東京伝作『絵兄弟』に、次のような挿絵がある(図一)。見開きの右半丁には、『桂川連理柵』などで著名な〈お半〉を背負い桂川に向かう〈長右衛門〉の図が、左半丁には、池から〈阿弥陀如来〉に呼び掛けられた〈本田善光〉が如来像を背負って信濃路を行ったという『善光寺縁起』の一場面が描かれている。この二つの図を対として並べているのだが、仏縁に牽かれていく本田善光と、心中に向かう穢濁の男女という全く異なるものを、背負うという形の酷似で結び付けた点に妙がある。『絵兄弟』は、宝井其角が編んだ『句兄弟』の趣向を戯画に転じ、一見した形は似ているが内実に落差のある事物を兄弟の対として配置し、そこに戯文を寄せた見立絵本で、この一対の見立絵という形式は、絵師北尾政演でもあり、多くの見立絵本においてその才を発揮した京伝ならではの新機軸であった。中野三敏氏が、宝暦年間に出された漕川小舟作『見立百化鳥』に始まる見立絵本作品を整理し記された見立絵本目録においては、『絵兄弟』は二十八番目に挙げられている。そして、この目録の最後にあたる三十六番目の作品として挙げられているのが、柳下亭種員作・歌川国芳画『滑稽絵姿合』(中野氏の目録では、『絵姿合』として載る。以下『絵姿合』と略す)であり、本稿ではこの『絵姿合』を考察対象とする。種員自序に、「故人京傳翁の画兄弟ハ、寛政六年の新版にて、耕書堂の大當りも、五十余年のいにしへながら、世の人今にもてはやす、他の作意も羨ましく」とあるように、『絵姿合』が『絵兄弟』に連なる意識で以て作られたことは明らかで、形式的・内容的にも原書を忠実に踏襲した「『絵兄弟』の続編」とも言える作品となっている(図二、図三)。しかしながら、続編と言っても、『絵姿合』が出されたのは天保十五年(一八四四。この年の十二月二日に弘化に改暦)であって、『絵兄弟』が出版された寛政六年からは五十年もの時を隔てている。さらに、『絵姿合』以前に、『絵兄弟』に倣った絵本作品が見られないという点からしても、『絵兄弟』のリバイバル作品である『絵姿合』の刊行は、いささか唐突な出来事であるように思われる。本稿では、この『絵兄弟』のリバイバル、換言すれば「絵兄弟」(二重括弧は書名を、一重括弧は趣向を示す)という趣向への注目という現象が、何故天保末期という時期に見られるのか、という疑問を出発点としたい。そして、『絵姿合』刊行の背景を探りその契機を明らかにすることで、『絵姿合』の文学史上での位置付けを試みたいと考える。