- 著者
-
長田 浩彰
- 出版者
- 広島大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2004
本研究は、祖父母の代に3人以上ユダヤ教徒がいたために、第三帝国下でユダヤ人とされた「ユダヤ人キリスト教徒」の動向に関する研究である。ベルリン工科大学反ユダヤ主義研究センターのアルヒーフや、ルートヴィヒスブルク州立文書館の非ナチ化裁判史料などを主に利用して、整理・分析することで、以下の結果を得た。(1)1943年2月末、ベルリンで発生した「ローゼン通り抗議」の実像を分析し、それが神話化されているドイツの現状を確認した。ユダヤ人一斉検挙で連れ去られた混合婚のユダヤ人配偶者の釈放を求めて、ドイツ人配偶者がベルリン・ローゼン通りに集まって抗議することで、前者の釈放を勝ち取ったという経緯は、後に行動が美化されることで生まれた神話であり、実際には、混合婚のユダヤ人配偶者は当初から東部移送の対象ではなかった、という研究者グルーナーの説を、史料から確認した。(2)混合婚夫婦から生まれた子供たちは、混血者として、部分的な迫害の対象となった。ベルリンにおけるヘルムート・クリューガーの事例に関して、彼の手による回顧録を実際の迫害措置と対比して検証した。(3)「ユダヤ人キリスト教徒」の相互扶助団体「パウロ同盟」のシュトゥットガルト支部を率いたエルヴィン・ゴルトマンの行動に関して、特に彼が子どもたちに残した遺稿を分析した。そこから、国外移住を拒絶してドイツに留まり、一方で対ナチ協力を強いられつつも、自身と家族に降りかかる迫害にゴルトマンが耐えた背景には、ナチ・ドイツとは別のドイツに対する彼の祖国愛と、篤いキリスト教信仰があったことを明らかにした。また、この点に関しては、ゴルトマンの対ナチ協力に関する、戦後の非ナチ化裁判史料を分析する中でも確認できた。さらに、裁判史料から次の点も確認できた。初審では、刑事裁判での検事に相当する公訴人側が求めたとおりの「重罪者」評決が出た。控訴審では、当事者ゴルトマン側に有利な供述書が提出されたにもかかわらず、また、公訴人側も第2グループである「有罪者」へと罪状認定を引き下げたにもかかわらず、評決は「重罪者」で動かなかった。「潔白証明書」を発行して非ナチ化を終了させる、という従来の非ナチ化についてのイメージとは逆の、厳しい評決であった。女性の非ナチ化にも見られたように、必要以上に高い倫理・道徳性が、当事者に求められていた。その理由は、裁くドイツ人の側に、第三帝国下でユダヤ人を見殺しにしたという負い目と、「女性的」とも言える「無辜の被害者」という「ユダヤ人イメージ」が存在したことで説明できる。このイメージから外れる「対ナチ協力者」という嫌疑だけで、事実如何の吟味の前に、ゴルトマンは断罪されたのである。ここに、非ナチ化裁判・控訴審の問題性がうかがえた。