著者
門脇 佳代子
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 = Tohoku Fukushi University Serizawa Keisuke Art and Craft Museum annual report (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.63-74, 2016-06-23

静岡市立芹沢銈介美術館所蔵「中尊寺参詣曼荼羅二曲屏風」は、岩手県平泉地方の寺社と、そこを参詣する人々の賑わいを描いた絵画である。類例として岩手県中尊寺に伝来する「平泉諸寺参詣曼陀羅図」が知られており、天正元(1573)年に回禄した毛越寺や観自在王院の堂塔を再建するため制作された可能性が高いと考えられている。本稿では、描写および構図の比較を通して、この二作品が同一の工房で制作されたこと、また「平泉諸寺参詣曼荼羅図」が先行して描かれ、後に平泉古図などの影響も受けつつ「中尊寺参詣曼荼羅二曲屏風」が描かれたことを指摘する。Chuson-ji Sankei Mandara is a painting owned by the Shizuoka City Serizawa Keisuke Art Museum. It depicts temples of the Hiraizumi district and visitors to their grounds. Interestingly, another painting connected with Chuson-ji, known as Hiraizumi-shoji Sankei Mandarazu, is thought to have been produced to aid in rebuilding a temple building destroyed by fire in 1573.Comparing these two works, I found that both paintings were produced in the same studio, and that Chuson-ji Sankei Mandara was drawn after Hiraizumi-shoji Sankei Mandarazu.
著者
門脇 佳代子 渡邊 泰伸
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学研究紀要 = Bulletin of Tohoku Fukushi University (ISSN:13405012)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.93-107, 2016-03-18

船形山神社は宮城県北部南端の大和町に位置する。この地域は,古代において色麻柵を中心とした色麻郡の領域に含まれる。船形山神社に御神体として伝わる金銅仏「菩薩立像」は,久野健氏,松山鉄夫氏の紹介によって韓半島由来のものであることが指摘され,多くの識者の検討により百済仏とされてきた。本稿では従来までの美術史的な見方に,考古学的な知見を加味して,本像をこの地にもたらした人々の存在に迫った。古墳の変遷,官衙の成立,生産遺跡の操業などを視座にみると,渡来系の移民の姿が垣間見られる。中でも色麻古墳群より出土する須恵器は湖西窯跡品と考えられ,多数の移民の存在を推定できる。また色麻町土器坂瓦窯跡から出土した雷文縁4葉複弁蓮華文軒瓦によって7世紀末~8世紀初頭に紀寺系の軒瓦を使用した官衙と寺院が成立したことがわかる。古代色麻郡は多賀城以前の7世紀後半代には北進・西進の拠点となり,活発な動きのあった地域でもある。よって,従来まで8世紀~9世紀と考えれていた「菩薩立像」の当地への伝来の時期を見直し,渡来系移民による7世紀後半に位置付けたい。
著者
門脇 佳代子
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 = Tohoku Fukushi University Serizawa Keisuke Art Craft Museum annual report (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.61-74, 2017-06-23

芹沢銈介の「布文字」と呼ばれる一群の作品は、翻る長い布が文字へと変化する独創的な表現で、昭和35(1960)年より盛んに作られた。布文字が登場する昭和30年代は、人間国宝となった芹沢が旺盛に作家活動を行った時期であり、他に飛白体を想起させる「福の字」(昭和33(1958)年)や「梵字愛染明王」(昭和34(1959)年)が制作されている。「梵字愛染明王」が初めて出品されたのは、昭和34年2月24日~3月1日にかけて開催された第1回无文会展であり、同年2月14日に柳宗悦へ宛てたハガキの中で制作中の作品として取り上げている。また同年5月11~17日に開催された柳宗悦先生書軸展では、柳の書の下絵を担当しており、その図柄のいくつかに梵字を取り入れている。東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館には、芹沢の練習とみられるカスレ描きの習作や梵字下絵が残されており、それらを含め発表作品を時系列に並べてみると、芹沢銈介の布文字成立には、飛白体や梵字の習得が前提にあったことがより明確になる。Serizawa Keisuke produced "cloth character" designs in which Chinese characters are depicted as long cloths, arranged to form the figures. From 1960, he created many such works, which were prized for their originality of expression. Two roughly contemporaneous works were his "Chinese character fuku"(1958)and "Sanskrit Aizen Myouou"(1959), both clearly showing his interest in characters.Serizawa wrote in a letter dated February 14, 1959 of his plans to create "Sanskrit Aizen Myouou." Sanskrit characters bear a resemblance to Serizawa's. Tohoku Fukushi University's Serizawa Keisuke Art and Craft Museum holds Serizawa's studies(pictures of Sanskrit characters drawn for practice). Comparing his "Sanskrit Aizen Myouou" and "cloth characters", it becomes clear that Serizawa's "cloth characters" developed out of his work with Sanskrit characters.
著者
門脇 佳代子 渡邊 泰伸
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学研究紀要 (ISSN:13405012)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.93-107, 2016

船形山神社は宮城県北部南端の大和町に位置する。この地域は,古代において色麻柵を中心とした色麻郡の領域に含まれる。船形山神社に御神体として伝わる金銅仏「菩薩立像」は,久野健氏,松山鉄夫氏の紹介によって韓半島由来のものであることが指摘され,多くの識者の検討により百済仏とされてきた。本稿では従来までの美術史的な見方に,考古学的な知見を加味して,本像をこの地にもたらした人々の存在に迫った。古墳の変遷,官衙の成立,生産遺跡の操業などを視座にみると,渡来系の移民の姿が垣間見られる。中でも色麻古墳群より出土する須恵器は湖西窯跡品と考えられ,多数の移民の存在を推定できる。また色麻町土器坂瓦窯跡から出土した雷文縁4葉複弁蓮華文軒瓦によって7世紀末~8世紀初頭に紀寺系の軒瓦を使用した官衙と寺院が成立したことがわかる。古代色麻郡は多賀城以前の7世紀後半代には北進・西進の拠点となり,活発な動きのあった地域でもある。よって,従来まで8世紀~9世紀と考えれていた「菩薩立像」の当地への伝来の時期を見直し,渡来系移民による7世紀後半に位置付けたい。