- 著者
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関谷 昇
- 出版者
- 日本公共政策学会
- 雑誌
- 公共政策研究 (ISSN:21865868)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.44-58, 2004-12-20 (Released:2022-01-18)
社会契約説という考え方は,個人主体を準拠点にして法と政治との応答関係を律する一つの規範原理である。近年はポストモダニズムの影響によって,そのt体性の構図や法学的思考の論理が批判されつつあるが,社会契約説の原理的可能性は依然として失われておらず,それどころかその原理性は法や政治政策にとって改めて問い直しの契機を発し続けていると考えられる。本稿は,社会契約説の現代的意義を改めて模索することを目的としている。社会契約説を,「作為」の論理という形で政治社会の発生の原理的基礎づけとして把えるならば,それは個々人が自発的に政治社会を営む民t主義原理を強調することを意味し,政治参加や政治過程の活性化を構成原理として弁証することにつながっていく。それはさらに,実践的な局面において,多元的な合意形成の充実を伴いながら,市民社会論として応用されてもいる。これに対して社会契約説の現代的復権は,所与の政治社会の帰結の原理的評価として再構成されるものであり,構成原理に対して制約原理にシフトしていると考えられる。それは法学的思考を背景とした配分的正義の導出を意味しており,それに甚づく国家権力の正当性を弁証することに応用されている。そこからさらに,リベラリズム的正義論として批判的に再構成されてもいるのである。本稿では,社会契約説が前者の側面から後者の側面へ転回した点を踏まえながら,そこに残されている課題を見出すことによって,今後の法学や政策学に必要とされる規範原理について検討を加えるものである。