著者
阿部 拓児
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.88, no.5, pp.664-698, 2005-09-01

前六世紀中葉以降、アカイメネス朝の支配下に入ると、小アジアは多様な文化的背景を有する人々が混在する地域となった。本稿では、かかる小アジアの南西端に位置したカリアを取り上げ、そこでいかなる文化が実践され、それをいかに理解すべきかを問う。カリアは、前五世紀にはヘロドトスによる信憑性の高い情報を得られ、前四世紀には在地の支配者であったヘカトムノス家がサトラペスとなり多くの建造物や碑文が残されていることから、小アジアの他地域と比較した場合、考察対象として適している。本稿では、カリアの宗教的中心地であったラブラウンダと政治、経済的中心地であったハリカルナッソスの具体的考察を通し、前述の問いに答えていく。考察の結果、ヘカトムノス朝下のカリアでは、従来に比べギリシア人とカリア人という境界線を希薄にするような文化が生まれていたことを示すことになろう。