著者
井上 文則
出版者
京都大学大学院文学研究科
雑誌
西洋古代史研究 = Acta academiae antiquitatis Kiotoensis (ISSN:13468405)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-23, 2013-12-10

3世紀においてゴート人は, ローマ帝国に繰り返し侵入し, 251 年には時の皇帝デキウスを敗死させるなどの深刻な事態を帝国にもたらした. この時期のゴート人の侵入を巡っては, その侵攻が何時, 何度あったのか, といった基本的な事実についてすら論争があるが, 本稿では特に3世紀におけるゴート人の侵攻の性格は, いったいどのようなものであったのか, さらにはそもそも当時のゴート人とはどのような集団であったのかという問題を考察の中心に据えて議論を行い, 併せてこの時期の侵入がゴート, ローマの双方にもった歴史的意義について考察を加えた. 考察の結果, ゴート人は, 通説が考えてきたようなバルト海南岸からの移住民ではなく, フランク人やアレマンニ人同様, 黒海北岸の地で3 世紀に新たに形成された民族であったこと, また, その侵入は単なる略奪を目的としたものであったとはいえ, 3 世紀の一連の侵入を通してゴート人が形成されていったことが明らかになった. ゴート人の侵入を促したのは, ササン朝の攻撃を受けて混乱するローマ帝国であったのであり, この意味では帝国の混乱がゴート人の形成, 強大化に寄与したのであった. ただし, 3世紀においては未だ, ゴート人は黒海北岸における支配的な集団ではなく, ローマ帝国への侵入に際しても, 侵入者の一部を構成していたにすぎないと考えられることも指摘した.