- 著者
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須川 妙子
- 出版者
- 日本調理科学会
- 雑誌
- 日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成28年度大会(一社)日本調理科学会
- 巻号頁・発行日
- pp.70, 2016 (Released:2016-08-28)
講演番号が 入ります 『東亜同文書院大旅行誌』の食の記述にみる近代日本青年のアジア観 ―台湾の例を中心にー ○須川 妙子 (愛知大短大) 【目的】1907~1944年に中国の現地調査を目的として行なわれた東亜同文書院生の大調査旅行の記録として、書院生が日誌として記した大旅行誌がある。行程中の書院生の心情が縷々記述され、特に食に関する記述からは、現地に対する心情や外地における母国への郷愁等を読みとることが出来る。植民地支配下にあったアジア各地においては中国内陸部とは異なる心情をもっていたことに着目し、書院生が「植民地アジア」の中でみた現地の生活文化について探る。本報告では日本統治下にあった台湾を主に取り上げる。 【方法】『東亜同文書院大旅行誌』を史料とした。大調査旅行行程に台湾が含まれる班の記録から食に関する記述を抽出し、前後の行程や現地での待遇、当時の世情などと照らし合わせて東亜同文書院生の現地に対する心情を導きだした。 【結果】台湾における書院生は、「台湾の中の日本」をみることで心身の安定を保ち、過酷な内陸部行程への英気を養う、もしくは内陸部行程中の労苦を癒していた。日本植民地下で開発発展した北投温泉では、立ち並ぶ飲食店に日本的な温泉街の風景を見出し、知識人の居住地区(青田街)に卒業生らを訪ね、日本家屋にて日本料理のもてなしをうけていた。また、台北を「小巴里」と表現し、生育期に日本で見聞きしてきたいわゆる「ハイカラ文化」も享受していた。近代日本の文化の様相である「和洋の折衷文化」を台湾で満喫する様子からは、現地本来の文化を直視せず、その「支配者層の文化」を享受する地と捉えていたといえる。