著者
頼 衍宏
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.9-49, 2018-11-30

法隆寺金堂に珍蔵されている「銅像薬師如来坐像」という国宝の光背銘は、日本の国語学ないし古典文学の領域で重要な位置を占めている。その文体について、現代の有力説では和文とされている。一方で、「正格の漢文」という波戸岡旭の説もある。ここでは、この少数説を支持して、訓詁・音韻・修辞という三つの側面から検証した。 字義については、とくに八箇所の文字列に即して考証する必要がある。そのために、中国の類書・正史・総集・金文・造像記・敦煌変文にとどまらず、日本で写経された漢訳仏典も視野に入れて、しかるべき用例を若干拾った。結果、純漢文体で読むことができた。この観点に基づいて、筆者は新しい読み下し文を作成してみた。 字音については、『切韻』の韻摂を導入して、銘文における韻字の分布を調査してみた。また、西周の散文のなかに存在する押韻をもつ金文、言い換えれば、非定型のなかに韻字を布陣する金石文の技法に注目しつつ、本銘の押韻状況を割り出した。 従来論じられていない修辞については、まず異なる字数五十八字のうち「大」「天」という執筆者の愛字から見ていく必要がある。その十二回ほど繰り返されている主旋律および配置の有り様は、唐詩に示された技法を抜きにしては考えられない。そのうえ、本銘を検討すると、前半の「大宮治天下」「天皇」「大」「賜」「歳次」「年」「仕奉」の七箇所が後半でそのまま繰り返されているという技巧も発見した。総合的に観察すると、同心円・渦・波という繫がりが認められる。冒頭の「池」に因んだ二十一箇所の修辞は、ちょうど発願の「丙午」から完成の「丁卯」までの二十一年間に相当する。 以上の考察により、正格漢文体とする少数説を復権させるとともに、現行における文学史の主流的な記述の仕方の刷新を提起したい。
著者
頼 衍宏
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.41-62, 2015-03

日本上代文学の研究成果の金字塔の一つと評価されているのが小島憲之『上代日本文学と中国文学――出典論を中心とする比較文学的考察』(1962~65)である。出版されて以来、中国文学もしくは国文学の立場から相次いで書評が寄せられている。特に頂点となったのは日本学士院賞恩賜賞を授与されたことであろう。しかし、1965年に公表された審査要旨においては「中国の典籍から出典をとりあげる場合に異論のある点もないではない」とあって、懸念材料が完全に払拭されたわけではない。この「異論」の意見を重視すべきであろう。そして『文淵閣版四庫全書電子版』を補助的に活かしたうえで、小島の提出した漢語の見解について追考してみなければならないだろう。結果として、「及」をはじめとする和習の六語について典例を洗い出してみれば、新たな解釈を示すことができるのではないかと思われる。漢語に関して、小島が誤解してしまったのは、明らかに類書と韻書に頼りすぎたためである。これは単発的な事例にすぎないとはいえまい。そのほかに、入矢義高の書評(1965)で取り上げられた四語、神田喜一郎の論著(1965~66)で文句をつけられた三語も穏当ではないだろう。また吉川幸次郎『漱石詩注』(1967)における五語も問題がないとはいえない。海彼の用例を採集するために力を注がねばならないし、これをもって和習と見なされている言葉と突き合わせつつ慎重に考え直さなければならない。小稿は、主に京都大学の権威のある四名による1960年代の典型的な論考に焦点を合わせ、「和習」とされてきた十八語の正体を明らかにする。インターネットを駆使して研究をするのが主流となりつつある昨今、従来いわれてきたような語性についての判断の適否を確認する場合、コーパスによる検証の手続きは不可避といえよう。
著者
頼 衍宏
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.9-49, 2018-11-30

法隆寺金堂に珍蔵されている「銅像薬師如来坐像」という国宝の光背銘は、日本の国語学ないし古典文学の領域で重要な位置を占めている。その文体について、現代の有力説では和文とされている。一方で、「正格の漢文」という波戸岡旭の説もある。ここでは、この少数説を支持して、訓詁・音韻・修辞という三つの側面から検証した。