著者
高田 俊二
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.23-31, 2015 (Released:2016-10-15)
参考文献数
23

湿板写真時代の1860年,万能の科学者で写真化学の大御所であったHerschel卿は世の中の出来事を動画で記録し子孫に 残す 「瞬間写真」 の構想を提案した.瞬間写真に必要な技術は,1/10秒の 「早打ち」 を可能にする高感度化と1/2~1/3秒で感光板を交換する技術であると述べた.当時は夢物語であったが,1871年Maddoxが発表したゼラチン乳剤と1889年Eastman社が発売した写真フィルムを起点に具現化されていった.そして彼の構想は,レンズ付フィルム 「写ルンです」 に象徴される写真の大衆化と,映像の大衆化である映画産業の創成に繋がった.デジタル写真の今日,一台のカメラに静止画と動画の撮影機能が収められ両者の一体化が着実に進んでいる.
著者
高田 俊二
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.76-82, 2014 (Released:2016-09-28)
参考文献数
26

欧州で興った写真術は,アメリカでフィルム産業として発展し,現在日本でデジタル産業として定着している.本技術史 では,写真産業の流れを導いたコンセプトとその技術革新のレビューを行う.その第一弾として,1870年代のイギリスにおける乳剤時代の幕開けに焦点を当てる.携帯可能な乳剤の提案に基づく乾燥乳剤ペリクルの開発中に見出された高感度技術オストワルド熟成によって新しい写真乾板産業が興った.
著者
高田 俊二
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.76, no.5, pp.378-384, 2013 (Released:2014-10-22)
参考文献数
11

日本写真学会の名誉賞を授与されたのを機に,富士フイルムにて進めたカラーフィルムおよびデジタル撮像素子での写真感度の向上に関する研究開発40年間の歩みをまとめた.
著者
高田 俊二
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.76-86, 2016 (Released:2017-03-22)
参考文献数
23

「写真のその場可視化」 はポラロイド社の第二の創業の課題であった.その課題は1972年発売されたモノシートカラー写真SX-70によって,カメラのサイズを除き完成の域に近づいた.しかし創設者Landの引退に伴い,ポラロイド社の方針は大衆化のための廉価版路線に変更され,インスタント写真の輝きは褪めていった.その競合だった一般写真は,小型の全自動カメラ・高感度カラーフィルム・ミニラボ短時間仕上げによって,その魅力を増していった.一方,電子カメラは1981年のマビカ発表以来足踏みを続けていたが,1995年発売されたカシオQV-10が民生品として普及の先駆けとなった.そしてランドの描いた夢は液晶ディスプレー付のデジタルカメラで実現されていく.
著者
林 誠之 三ツ井 哲朗 前原 佳紀 井浜 三樹男 高田 俊二
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.75-80, 2008-04-25 (Released:2011-01-04)
参考文献数
14
被引用文献数
1 1

筆者らは, 現在のCCDやCMOSが直面している感度の限界やモアレ, シェーディングなどの画質の問題を解決する手段として, 有機光電変換膜を積層したCMOSカラーイメージセンサーを提案している.撮像素子として用いられる有機光電変換膜は, 高い光電変換効率のみならずノイズ低減のためにシリコンフォトダイオードと同等レベルの低い暗電流が求められる.しかし, 従来の有機光電変換膜は電圧印加時の暗電流抑制が十分ではなかった.そこで, 本報告では有機光電変換膜の暗電流抑制方法としてブロッキング層の導入を検討した.暗電流抑制効果と撮影画質に及ぼす影響について評価を行い, 適切なブロッキング層の導入が暗電流抑制に対して有効であることを示した.
著者
高田 俊二
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.252-260, 2020 (Released:2021-11-02)
参考文献数
23

歴史写真はその現場の姿を後世にまで正確に伝えるが,当時の人が抱いていた関心事や現場を訪れた人の印象まで伝えるのは難しい.1863 年外国人居留地横浜に写真スタジオを開設し,スイス使節団あるいはオランダ領事に随行して江戸を訪れた英国人写真家フリーチェ・ベアトは,江戸界隈の写真を数多く残している.そして古代都市トロイヤを1871年に発見したハインリッヒ・シュリーマンは,それに先立つ1865年に世界漫遊の中で一ヶ月間日本に滞在した.彼は米国代理公使の招待で5日間横浜から江戸への小旅行を行い,その記録を彼の旅行記に収めた.本報では,ベアト写真とシュリーマン旅行記を重ね合せ,①外国人の殺害現場,②愛宕山のパノラマ風景,③浅草観音寺,④王子の茶屋の4つの場所で,当時の外国人の関心事と印象を考察してみた.