著者
齋藤 敬之
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.130, no.2, pp.37-57, 2021 (Released:2022-02-20)

1990年代初頭からドイツ歴史学の中で活況を見せる歴史犯罪研究は、中近世における傷害や殺人などの暴力をはじめとする犯罪の社会史を論じている。その系譜は、ドイツ社会史研究の盛り上がりや、人類学にも接近した「新しい文化史」の台頭といった、1970年代以降の歴史学の趨勢に位置づけられる。G・シュヴェアホフやM・ディンゲス、J・アイバッハといった研究者は、犯罪社会学の概念やP・ブルデューの名誉や男性性に関する見方を積極的に摂取することで、N・エリアスの文明化論でしばしばネガティヴに描写されてきた前近代の暴力を文化史的に捉え直した。すなわち、とくに男性間での名誉をめぐる揉め事に、中傷や挑発の言動に端を発して最終的に身体的な実力行使に至るというエスカレートの規則性や儀礼化を見出すことで、感情や攻撃欲の無制限の発露、非文明的な行為としての暴力像を退けた。こうした理解はその後の研究に受け継がれつつも、P・シュスターやP・ヴェットマン=ユングブルートらは暴力と名誉の関係をより緩やかに捉えており、さらに近世の決闘の諸相を検討したU・ルートヴィヒや19-20世紀ベルンにおける暴力犯罪を分析したM・コティエーは男性の名誉と結びついた暴力を一種のゲーム、つまり自己目的化したコミュニケーション形態と理解することで、暴力の感情的次元を改めて視野に収めている。 本稿での整理から導かれる今後の課題として、18世紀フランクフルトの犯罪を分析したアイバッハの研究を決闘研究や感情史研究と接続させ、19世紀まで射程に入れて暴力の形態や行動様式、認識の変化をたどるとともに、名誉を守る必要性と暴力による負傷や命の危険との間に葛藤を抱いていたのかといった点を問うことが有意義である。このような暴力の社会的位置づけの検討を通じて、「端境期(ザッテルツァイト)」と呼ばれる18世紀から19世紀の時代的特質の解明にも貢献できると思われる。