著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学経済研究所
雑誌
中央大学経済研究所年報 (ISSN:02859718)
巻号頁・発行日
no.47, pp.539-561, 2015

琉球革命同志会・台湾省琉球人民協会・琉球国民党などの組織は,中国国民党/中華民国政府の意を受けた「琉球」吸収工作機関だった。本稿では,中国国民党・中華民国政府による1948年から1971年までの琉球/沖縄吸収工作を検討する。検討対象資料は,「喜友名嗣正(中国名:蔡璋)1948年8月22日付け葉次長閣下あて文書」,「琉球革命同志会工作報告」・台湾省琉球人民協会「工作報告(8,9月分)」(1948年10月付け),琉球革命同志会1949年12月「備忘録」,蔡璋「琉球国徽の由来琉球『万暦の役』の惨痛」(1949年2月25日『中華日報』)「琉球革命同志会・琉球人民協会」名「籲議書」(日付け不明),「中国国民党中央改造委員会から葉公超部長あて1951年2月20日付け代電」,「中国国民党中央委員会第 組から外交部葉公超部長あて1952年7月14日付け書簡」ほかの中華民国中央研究院近代史研究所檔案館所蔵の外交部檔案電子資料である。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学経済研究所
雑誌
中央大学経済研究所年報 (ISSN:02859718)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.539-561, 2015-11-30

琉球革命同志会・台湾省琉球人民協会・琉球国民党などの組織は,中国国民党/中華民国政府の意を受けた「琉球」吸収工作機関だった。本稿では,中国国民党・中華民国政府による1948年から1971年までの琉球/沖縄吸収工作を検討する。検討対象資料は,「喜友名嗣正(中国名:蔡璋)1948年8月22日付け葉次長閣下あて文書」,「琉球革命同志会工作報告」・台湾省琉球人民協会「工作報告(8,9月分)」(1948年10月付け),琉球革命同志会1949年12月「備忘録」,蔡璋「琉球国徽の由来琉球『万暦の役』の惨痛」(1949年2月25日『中華日報』)「琉球革命同志会・琉球人民協会」名「籲議書」(日付け不明),「中国国民党中央改造委員会から葉公超部長あて1951年2月20日付け代電」,「中国国民党中央委員会第 組から外交部葉公超部長あて1952年7月14日付け書簡」ほかの中華民国中央研究院近代史研究所檔案館所蔵の外交部檔案電子資料である。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学経済研究所
雑誌
中央大学経済研究所年報 (ISSN:02859718)
巻号頁・発行日
no.46, pp.551-565, 2015

琉球と台湾で秘密組織として結成された琉球青年同志会は,中華民国軍のために沖縄に駐留する日本軍の情報を収集するスパイ機関だった。日本の敗戦後は,「琉球」(沖縄)を中国に吸収することを目的として活動し,琉球革命同志会と改名,中国国民党中央委員会,外交部などとも直接連絡を取りあっていた。琉球革命同志会などの中心人物は蔡璋であり,同会は中国国民党/中華民国政府の意を受けた「琉球」吸収工作機関だった。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学経済研究所
雑誌
中央大学経済研究所年報 (ISSN:02859718)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.551-565, 2015-09-30

琉球と台湾で秘密組織として結成された琉球青年同志会は,中華民国軍のために沖縄に駐留する日本軍の情報を収集するスパイ機関だった。日本の敗戦後は,「琉球」(沖縄)を中国に吸収することを目的として活動し,琉球革命同志会と改名,中国国民党中央委員会,外交部などとも直接連絡を取りあっていた。琉球革命同志会などの中心人物は蔡璋であり,同会は中国国民党/中華民国政府の意を受けた「琉球」吸収工作機関だった。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.51-80, 2017-09-30

日本は、一七世紀から南シナ海の島・礁と関わりを持っていたが、一九一七年には占有したと主張した。日本は、フランスとの間で一九三三年から領有をめぐって対立したが、南シナ海の島・礁の領有に「新南群島」という名称を付与し、日中戦争期の一九三九年三月三〇日に「新南群島」領有に対する「法的手続を完了」し、台湾総督府が管轄した。しかし、日本は一九四五年八月一四日、連合国に降伏し、一九五一年九月のサンフランシスコ平和条約で南シナ海諸島・礁の放棄に同意し、一九五二年四月二八日、同条約は法的「放棄」が発効した。この領有行為は、その後の中華民国による「一一段線」主張とそれを引き継いだ中華人民共和国による「九段線」主張の原型となったという点で重要な意味を持つことになった。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.91, pp.37-66, 2018

現在に至るまで中国地域史上もっとも民主的な憲法である「中華民国憲法」を決定したのは、国民大会であった。国民大会は、一九二四年一月の孫文の『建国大綱』に基づく構想であり、民主的な性格を持つとともに、訓政下での政治的実践であった。 国民政府は一九三六年五月五日に憲法草案を公布し、「中華民国憲法草案」と名づけた。 制憲国民大会は当初、一九三五年三月に開催される予定であったが、六回延期された。日中戦争中、いわゆる国共合作に乗っていた中国共産党といわゆる民主党派は、一九四六年一月の政治協商会議までは国民大会の議論に参加していたが、その後、この国民大会にボイコットを表明した。 国民大会予備会議は、一九四六年十一月十八日から十一月二十二日まで開催され、「中華民国憲法草案」が確定された。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.85, pp.1-52, 2016

南シナ海の領有権をめぐる歴史としては、第一期、領有権は問題にならなかったはずであるが、現在、中華人民共和国が漢代から中国の固有の領土だったなどと主張している前近代、第二期、清朝・中華民国が領有を主張した時期、第三にフランスが一九-二〇世紀にインドシナ地域を植民地化した時期、第四に日本が二〇世紀前半に統治した時期、第五に日本の敗戦後、中華民国が領有権を主張し、一九五〇年代以降、中華人民共和国がそれを引き継いで領有権を主張しているが、フィリピン・ベトナム・マレーシアなども領有権を主張し、対立して今日に至っている時期、そして第六に中華人民共和国が礁を埋め立てて建設した人工島によって領土・領海を主張しているが、アメリカなどが人工島建設による領土・領海主張は国際法違反と指摘している現在の時期などに分けられる。それらについて主として浦野起央の資料集によって整理を行なった。