著者
龍崎 孝
出版者
横浜市立大学
巻号頁・発行日
2016-03-25

2015年度
著者
龍崎 孝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

2011年3月11日に発生した東日本大震災によって宮城県は142漁港全てが被災するなど多大な被害を受けた. 宮城県は水産業復興に向け、集約・効率化を図る施策を選択し、機能集約が図られる漁港は60港に絞られた. さらに県は水産業復興特区構想を打ち出し、2011年12月に国の特区法施行を経た上で2013年8月に石巻市桃浦が復興特区に認定された. 特区はこれまで漁協が優先順位一位で付与されてきた特定区画漁業権を、民間が資本参加した経営体を漁協と同列の一位で審査し、漁業権を付与する政策で、付与された経営体は漁協に参加せずに漁業を営むことができる. 水産業の復興にあえて「格差」を持ち込んだのである. 宮城県水産業復興特区には漁業文化、漁業経済の視点から賛否両論があるが、政策導入により漁業集落コミュニティがどのような影響を受け、変化し、その再生と持続につながりうるのかを本考察は明らかにしようとするものである. 漁獲量が戦後のピークの三分の一まで落ち込んでいるなど水産業を取り巻く状況は厳しい. 原因のひとつは漁協の漁獲量管理がずさんなためと指摘されている. 水産業復興特区は漁業権を保有し組合員たる漁民の「管理主体」としての役割を漁協から奪い、漁業権を一経営体に付与する政策で、県漁協の理解を得ないまま2013年4月に石巻市桃浦の特区が認定された. 石巻市桃浦は津波でカキ養殖施設が壊滅的な状況にあり、集落存続の危機にあった. 桃浦の漁民の大半が2011年秋に特区構想に応じることを決め、仙台市の水産会社と共同出資の「桃浦かき生産者合同会社」(以下桃浦LLC)が桃浦の養殖漁業者15人により発足した. 桃浦LLCは被災前の年間売上1億9400万円を2016年度には3億円に伸ばすことを目標にし①沿岸養殖漁業における六次産業化②持続的な地域産業形成によるコミュニティの再構築―を目指している. 宮城県は2012年2月に発表した「富県宮城の復興計画」の中で特区構想の特徴として(1)漁業権の行使料などの経費が不要(2)新たな販売経路が構築しやすい―などと説明している. これは漁協が独占している共販制度から離脱して加工販売の自由を確保し、六次産業化を容易に進めることを狙いとしており、これは漁民が漁協の管理下を離れることを意味する. 村井嘉浩県知事は震災直後の2011年5月10日に首相官邸で開かれた東日本大震災復興構想会議で水産業復興特区を提案した. 宮城県漁協は反対を表明したが、知事は5月29日の同会議で漁協を中心とする現在の水産業の在り方を批判的に説明し、同時に特区構想の必要性を主張、6月11日には原案となる復興特区法の全容を会議で提示し、6月25日に発表された「復興提言」の中に盛り込まれた. その間に宮城県漁協は反対署名などを提出したが、県は一切顧みることはなかった. 知事の動きなどから特区構想導入は、震災からの復興に寄与することは副次的な目的で主眼は漁協排除のきっかけを作ることではなかったか、と考察する. 水産業復興特区は、漁業コミュニティにどのような変化をもたらすのか. 視点の一つとして新自由主義的な政策を展開した英国・サッチャー政権下で行われた炭鉱闘争とその帰結を考察する. 英国の炭鉱産業は、労働者の流動性が少なく、地域のコミュニティと密接不可分にあった. その特性は日本の漁業集落と似ている. 1984年の英国炭鉱ストは、生産性の高いデューカリズ地区の炭鉱群がストに参加しなかったことなどから次第にスト離れが続いて崩壊し、その帰結として炭鉱は民営化された. 漁業権を得て漁協から離脱した桃浦の存在は、宮城県水産業における「デューカリズ」となる可能性を持つ. 県漁協は特区構想の導入によって、漁業紛争の解決にあたる調整者としての機能が失われる. 当事者能力が奪われる中で、漁業集落というコミュニティを束ねてきた漁協の地位は揺らぎ、漁協コミュニティの「分断」と「融解」が始まると考えられる. 一方桃浦では二つの事象が起きている. 一つは仮設住宅などで避難生活を送ってきた住民たちが桃浦に隣接する高台に移住する計画が進みつつあること、また桃浦LLCに参加せずに、従来通りの漁協組合員として桃浦でかきの養殖に取り組む漁民1名が存在することだ. 漁業集落コミュニティでは「生活の場」と「生業(なりわい)の場」が一体であることが常態であったが、桃浦では高台における「集落コミュニティ」と浜における「漁労コミュニティ」のふたつに「分離」することになり、その「融合」を今後どう図るかという視点が求められる.
著者
龍崎 孝
出版者
流通経済大学スポーツ健康科学部
雑誌
流通経済大学スポーツ健康科学部紀要 (ISSN:18829759)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.99-108, 2019-03

第100回甲子園は「最強世代」と表現された大阪桐蔭高が史上初の2度目の春夏連覇を成し遂げた。しかしメディアの関心は,準優勝に終わった県立高の金足農にも多く注がれた。夏の甲子園は地方大会からトーナメント戦を起用した「優勝劣敗」の極みともいえる選手権だが,「雑草軍団」と表象される敗者の金足農が優勝校以上に社会の共感を集めたのは,「甲子園野球」という特殊な「空間」の中で「優勝劣敗」を争ったからに他ならない。主催者・朝日新聞社発行の特集誌と野球専門誌を比較検討する中で,甲子園における高校野球,すなわち「甲子園野球」では,野球競技に求められる技量・能力を超える特殊な「価値」,すなわち「地域代表」「高校生活」をどのように具現化したチーム=組織であるかが求められていることが明らかになった。