著者
Furmanovsky Michael
出版者
龍谷大学
雑誌
国際文化研究 (ISSN:13431404)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.51-64, 2010-03-10

ビートルズは日本の大衆文化において、唯一無二の地位を確立している。彼らの音楽や映像は、今もなおほぼ全ての商業界、娯楽産業界で見聞きすることができる。この現状からポピュラー音楽評論家や歴史研究者たちは、ビートルズは1960年台中期から後期において日本のポピュラー音楽文化の変革において、重責を担ったと認識している。1960年代後期の日本でグループサウンズ(GS)と呼ばれたバンドの外見上の服装やイメージなどは、この認識と合致するものである。しかし、実際は今もなお日本ツアーを行うアメリカのエレキギターを中心としたインストゥルメンタルグループ、ザ・ベンチャーズがビートルズよりも日本のポップス、ロック音楽の方向性を形成する上で多大な影響を及ぼしたと考察できるかなりの証拠が存在する。本稿では、1965年〜67年に興ったエレキブームの引き金となり1960年代、日本を代表するポップスミュージシャンたちの音楽スタイルや噂好の形成に直接的につながったザ・ベンチャーズの影響力について取り上げる。ザ・ベンチャーズは、日本のポピュラー音楽史においてビートルズと同等の重要な存在であり、グループサウンズの形成において基礎的な音楽的影響を与えたのは実はこのベンチャーズなのである。
著者
Furmanovsky Michael
出版者
龍谷大学
雑誌
国際文化研究 (ISSN:13431404)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.45-56, 2008

1958年、占領後の日本ではじめて盛り上がった大衆文化がいわゆる「ロカビリー・ブーム」である。アメリカで一世を風靡した新しい「ロカビリー」音楽がすぐに日本にも広がり、数多くの日本の十代たちがこの音楽に強く影響され、戦後の新しい消費文化に煽られていった。東京でおこなわれた「日劇ウェスタン・カーニバル」のコンサートに集まった騒がしい「ロカビリー族」たちは、たちまち警察や当局やPTAから、少年非行につながるとして敵視されることになった。当時の過激派学生たちは、親米派の岸政権と正面から対決していたが、この学生運動と軌を一にして盛り上がったロカビリー・ブームは短命に終わったものの、60年代初頭に大衆文化産業が大いに花開く道を切り開いたのである。