著者
津城 寛文 Hirofumi TSUSHIRO
出版者
宗教倫理学会
雑誌
宗教と倫理 (ISSN:13468219)
巻号頁・発行日
no.14, pp.21-33, 2014-11

死者(あるいはここにいないはずの生者)が、姿を見せたり言葉を語ったり、その気配がしたり、匂いや音がしたりという話題は、19 世紀末英国の心霊研究で「死者(生者)の幻影」という術語を与えられ、膨大な調査報告が出された。こうした話題は、ちょうど日常と非日常の接する領域に、分布している。そしてそのリアリティは、日常的な状況では拡散し周辺化されるが、非常事においては増幅し、社会に表面化してくる。\非常事の典型は大規模な天変地異である。2011 年の東日本大震災と大津波では、ほぼ一瞬のうちに数万人の死者・行方不明者が出て、死者の幻影の目撃譚の噂が広がっている。3・11 以降、死因を共有する大量の死者のそのような大きな圧力が、日常と非日常のリアリティ比率を変えたようである。また「死者の幻影」譚を悪用した「霊感商法」や、霊感商法まがいの伝道の報告、その噂が、あちこちで語られている。死者のリアリティを扱う宗教学は、このような死者との交流に絡んでくる諸問題に対して、私的なスピリチュアリティ領域でのハラスメントやアビューズから、社会事件ともなる詐欺や脅迫まで、有形無形の非合法を仕分ける役割が期待される。
著者
津城 寛文 Hirofumi TSUSHIRO
出版者
筑波大学大学院人文社会科学研究科国際日本研究専攻
雑誌
国際日本研究 = Journal of International and Advanced Japanese Studies (ISSN:21860564)
巻号頁・発行日
no.12, pp.91-104, 2020

どの文化の土台にも、地理的な初期条件と、歴史的なプロセスによって育まれてきた指向性があり、諸条件が整った時、ほかの文化では及び難い、「頂点文化」と呼び得るものに達することがある。日本の伝統的感性の一面として指摘されている「省略」「暗示」「簡素」「凝縮」「集中」等々の特徴は、現代的なキーワードではミニマリズムとも呼ぶことができ、「能」「茶道」「武士道」「神道」「和歌」などの頂点文化では、それらが極限まで追及されて、西洋の魅惑に対峙しうる価値を達成している。能の「居グセ」は、典型的な凝縮の達成である。茶道では、所作や道具を切り詰めて、禅的な美が目指される。武士道では、武力の極致において、相互の武力が無化される。神道では、神意の前に私意が無化される。そして、すべての頂点文化の頂点で、三十一文字の和歌が詠まれる。これらの頂点文化は、達人が敢えて力量を秘めて、表現を抑制するという、世界史でも稀有な文化である。他方、それが形骸化すると、もともと無能な者が何もしないという、戯画を呈する。すでに高みを極め、現代ではおもに文化財的なものになっている頂点文化を、人類の遺産として保存するだけではなく、環境や人材その他の条件を得て、将来に向けて再生し、刷新し、創生し、新たな高みに達することが期待される。Every culture with its own fundamental orientation cultivated by geographical initial conditions and historical processes, may attain some stages at its beneficial points and surpass other cultures, which I call 'peak culture.' Some characteristics are often noted as Japanese innate aesthetics, such as abbreviation, suggestion, simplicity, condensation, concentration and so on, which may be interpreted 'minimalism' in contemporary world. Peak cultures such as No-drama, Sado-tea-ceremony, Bushido-warrior's way, Shinto-religion and Waka-poetry have pursued the ideals to the utmost limit, and achieved sufficient valuescompeting with Western fascination. 'Iguse' in No-drama is typical achievement of concentration. Sado-tea-ceremony aims at Zen-Buddhistic beauty with least manipulations and items. In Shinto-religion, private willingness must be nulled in the presence of Divinity. And at the peak of all peak cultures, Waka-poetry is recited in thirtyone syllables. These peak cultures, achieved by gifted, trained and concentrated virtuosi with minimum performances, are rarely observed in the world history, and might lapse into mere farces that incompetent people do nothing.The peak cultures have attained respective peaks once and now may remain mainly as cultural properties. We could expect, however, to regenerate, innovate, create and exalt them to new heights, with beneficial environments, gifted persons and other conditions, instead of merely preserving them as human heritages.