著者
津城 寛文 TSUSHIRO Hirofumi
雑誌
<公共宗教>の光と影
巻号頁・発行日
pp.1-342, 2005-06-15

はじめに主題と構成Ⅰ部 公共宗教と深窓文化の回路――基礎的考察 1章 公共宗教の帯域 2章 トライアングル・スキームの射程 3章 トライアングル・スキームの展開 4章 宗教ナショナリズムに動員されないものⅡ部 近代日本の話題――解釈的事例 5章 近代日本の公共宗教と深層文化――主題のスケッチ 6章 天皇の銅像――物質化のためらい 7章 日猶同祖論――世界史の中心をめざす起源神話 8章 大本霊学と日蓮主義――二つの「公共宗教をめざすもの」 終章 現代的課題のための補論注あとがき初出一覧英文目次書誌データ筑波大学附属図書館リポジトリ版へのあとがき
著者
津城 寛文 TSUSHIRO Hirofumi
雑誌
鎮魂行法論 : 近代神道世界の霊魂論と身体論
巻号頁・発行日
1990-04-10

はしがき序章 本書の目的と後世第一章 鎮魂行法家の群像――近代以降の神道界とその周辺における行方家の一系譜 第Ⅰ部 大本系の鎮魂行法家 第Ⅱ部 その他の鎮魂行法家第二章 鎮魂行法研究の立場と方法――シャーマニズム研究を手がかりに身体論へ第三章 大本系の鎮魂帰神行法説――シャーマニズム基礎論の観点から第四章 川面凡児の鎮魂行法説――脱魂型シャーマニズムの身体論第五章 田中治吾平の鎮魂行法説――神秘的合一への階梯第六章 その他の鎮魂行法説第七章 鎮魂行法の身体論と類型化――宗教的身体境界の観点から 註 初出一覧 あとがき 書誌データ 筑波大学附属図書館リポジトリ版へのあとがき
著者
鎌田 東二 島薗 進 津城 寛文 河合 俊雄 永澤 哲 井上 ウィマラ 鶴岡 賀雄 野村 理朗 倉島 哲 稲葉 俊郎 古谷 寛治 奥井 遼 林 紀行 町田 宗鳳 棚次 正和 篠原 資明 齋木 潤 金 香淑
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本科研研究プロジェクトは、「こころの荒廃」から抜け出るための手がかりを瞑想や修行や儀礼や芸能などの「身心変容技法」という宗教的リソースに求め、その意味・意義・機能・はたらき・諸相を明らかにしようとするものである。2017年度は、9回の定例公開研究会(第56回身心変容技法研究会~第63回身心変容技法研究会)、2回のフィールドワーク(2017年5月の東北被災地追跡調査(第12回目目)と2018年2月の天河大辨財天社の鬼の宿・節分祭・立春祭調査)、多摩美術大学芸術人類学研究所との特別合同シンポジウム「大地の記憶を彫る」、毎月1度の定例分科研究8「世阿弥研究会」を行ない、その成果をHP:http://waza-sophia.la.coocan.jp/と、2018年3月発行の科研成果報告書『身心変容技法研究第7号』(全272頁)に掲載し、社会発信した。そこで問いかけた諸問題は、①オウム真理教事件を事例とする霊的暴力や魔や悪魔の問題、②身心変容(技法)と芸術・芸能との関係、③身心変容(技法)の科学、④身心変容(技法)の哲学、⑤身心変容(技法)と教育、⑥身心変容(技法)と聖地ないし場所などなどの諸問題である。こうして、「身心変容(transfomation of body & mind)」や「霊的暴力(spiritual violence)」や「霊的虐待(spiritual abuse)」の概念を明確にしつつ、その負の局面を分析・考察した。カトリックや禅や瞑想「悪魔」や「魔境」やバランスの崩れの問題を問いかけるとともに、縄文時代の身心変容や古代の洞窟(洞天)が果たした象徴機能や役割やそこにおける諸種の身体パフォーマンスについて考察の目を向け、理論的研究と事例的研究と認知神経科学的な実験的研究の突合せと整理を行ない、認知神経科学における「畏怖・恐れ」の問題の実験的研究に一歩踏み込んだ。
著者
津城 寛文
雑誌
<霊>の探究 : 近代スピリチュアリズムと比較宗教学
巻号頁・発行日
pp.1-283, 2005-10-30

はじめに序章 「近代スピリチュアリズム」という事件――主題のスケッチ1章 比較宗教学と近代スピリチュアリズム――ミュラーとモーゼスのニアミス2章 <霊>という主語――『霊訓』の対話から3章 臨死体験が問いかけるもの――「マイヤーズ問題」の回帰4章 現代の輪廻神話――不可視の知性が語る倫理終章 近代スピリチュアリズムの帯域――神智学その他と対照して注あとがき初出一覧英文目次書誌データ筑波大学附属図書館リポジトリ版へのあとがき
著者
津城 寛文 Hirofumi TSUSHIRO
出版者
宗教倫理学会
雑誌
宗教と倫理 (ISSN:13468219)
巻号頁・発行日
no.14, pp.21-33, 2014-11

死者(あるいはここにいないはずの生者)が、姿を見せたり言葉を語ったり、その気配がしたり、匂いや音がしたりという話題は、19 世紀末英国の心霊研究で「死者(生者)の幻影」という術語を与えられ、膨大な調査報告が出された。こうした話題は、ちょうど日常と非日常の接する領域に、分布している。そしてそのリアリティは、日常的な状況では拡散し周辺化されるが、非常事においては増幅し、社会に表面化してくる。\非常事の典型は大規模な天変地異である。2011 年の東日本大震災と大津波では、ほぼ一瞬のうちに数万人の死者・行方不明者が出て、死者の幻影の目撃譚の噂が広がっている。3・11 以降、死因を共有する大量の死者のそのような大きな圧力が、日常と非日常のリアリティ比率を変えたようである。また「死者の幻影」譚を悪用した「霊感商法」や、霊感商法まがいの伝道の報告、その噂が、あちこちで語られている。死者のリアリティを扱う宗教学は、このような死者との交流に絡んでくる諸問題に対して、私的なスピリチュアリティ領域でのハラスメントやアビューズから、社会事件ともなる詐欺や脅迫まで、有形無形の非合法を仕分ける役割が期待される。
著者
津城寛文著
出版者
春秋社
巻号頁・発行日
2005
著者
津城 寛文 Hirofumi TSUSHIRO
出版者
筑波大学大学院人文社会科学研究科国際日本研究専攻
雑誌
国際日本研究 = Journal of International and Advanced Japanese Studies (ISSN:21860564)
巻号頁・発行日
no.12, pp.91-104, 2020

どの文化の土台にも、地理的な初期条件と、歴史的なプロセスによって育まれてきた指向性があり、諸条件が整った時、ほかの文化では及び難い、「頂点文化」と呼び得るものに達することがある。日本の伝統的感性の一面として指摘されている「省略」「暗示」「簡素」「凝縮」「集中」等々の特徴は、現代的なキーワードではミニマリズムとも呼ぶことができ、「能」「茶道」「武士道」「神道」「和歌」などの頂点文化では、それらが極限まで追及されて、西洋の魅惑に対峙しうる価値を達成している。能の「居グセ」は、典型的な凝縮の達成である。茶道では、所作や道具を切り詰めて、禅的な美が目指される。武士道では、武力の極致において、相互の武力が無化される。神道では、神意の前に私意が無化される。そして、すべての頂点文化の頂点で、三十一文字の和歌が詠まれる。これらの頂点文化は、達人が敢えて力量を秘めて、表現を抑制するという、世界史でも稀有な文化である。他方、それが形骸化すると、もともと無能な者が何もしないという、戯画を呈する。すでに高みを極め、現代ではおもに文化財的なものになっている頂点文化を、人類の遺産として保存するだけではなく、環境や人材その他の条件を得て、将来に向けて再生し、刷新し、創生し、新たな高みに達することが期待される。Every culture with its own fundamental orientation cultivated by geographical initial conditions and historical processes, may attain some stages at its beneficial points and surpass other cultures, which I call 'peak culture.' Some characteristics are often noted as Japanese innate aesthetics, such as abbreviation, suggestion, simplicity, condensation, concentration and so on, which may be interpreted 'minimalism' in contemporary world. Peak cultures such as No-drama, Sado-tea-ceremony, Bushido-warrior's way, Shinto-religion and Waka-poetry have pursued the ideals to the utmost limit, and achieved sufficient valuescompeting with Western fascination. 'Iguse' in No-drama is typical achievement of concentration. Sado-tea-ceremony aims at Zen-Buddhistic beauty with least manipulations and items. In Shinto-religion, private willingness must be nulled in the presence of Divinity. And at the peak of all peak cultures, Waka-poetry is recited in thirtyone syllables. These peak cultures, achieved by gifted, trained and concentrated virtuosi with minimum performances, are rarely observed in the world history, and might lapse into mere farces that incompetent people do nothing.The peak cultures have attained respective peaks once and now may remain mainly as cultural properties. We could expect, however, to regenerate, innovate, create and exalt them to new heights, with beneficial environments, gifted persons and other conditions, instead of merely preserving them as human heritages.

1 0 0 0 OA 人生の夕べに

著者
ミュラー マックス 津城 寛文 Müller Friedrich Max TSUSHIRO Hirofumi
雑誌
人生の夕べに
巻号頁・発行日
2003-11-30

2017/09/05 レイアウト変更のため差替
著者
津城 寛文
雑誌
折口信夫の鎮魂論 : 研究史的位相と歌人の身体感覚
巻号頁・発行日
1990-09-29 (Released:2017-06-29)

はしがき 序章 折口鎮魂説の解明に向けて第Ⅰ部 研究史の中の折口鎮魂説 第一章 折口信夫の鎮魂説――その透明な理解のために 第二章 天皇霊の鎮魂――鎮魂説と言霊説の交差点 第三章 鎮魂の研究史――折口鎮魂説の前後左右 第四章 鎮魂の類型――霊魂捜査の諸技法第Ⅱ部 折口鎮魂論の発生 第五章 折口信夫の透過的身体協会感覚――折口鎮魂説と迢空短歌の発生基盤 第六章 折口信夫の叙景詩論と叙景的迢空短歌――透過的身体協会の癒やしを求めて 第七章 聴覚的想像力と水的治癒力――折口鎮魂説と迢空短歌の力動学 註 初出一覧 あとがき 書誌データ 筑波大学附属図書館リポジトリ版へのあとがき
著者
鎌田 東二 河合 俊雄 鶴岡 賀雄 棚次 正和 町田 宗鳳 津城 寛文 井上 松永 倉島 哲 篠原 資明 斎木 潤 乾 敏郎
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

「身心変容技法」とは[身体と心の状態を当事者にとってよりよいと考えられる理想的な状態に切り替え変容・転換させる諸技法/ワザ]を指すが、本科研では祈り・祭り・元服・洗礼・灌頂などの伝統的宗教儀礼、種々の瞑想・イニシエーションや武道・武術・体術などの修行やスポーツのトレーニング、歌・合唱・ 舞踊などの芸術や芸能、治療・セラピー・ケア、教育プログラムなどの領域の領域で編み出され実践されてきた身心変容技法を文献・フィールド・臨床・実験の4手法によって総合的に研究し、その成果を研究年報『身心変容技法研究』(1~4号、2012~15年)にまとめ、国際シンポジウムと大荒行シンポジウムで総括し、社会発信した。