著者
辻村 優英
出版者
宗教倫理学会
雑誌
宗教と倫理 (ISSN:13468219)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.77-98, 2012-10

近代の科学技術や経済活動等に大きく依存する地球環境問題(global environmental issues)の解決に向けて、様々な学問分野からのアプローチが試みられている。宗教学もその例に漏れず、諸宗教と環境との関わりについての研究(例えば、Harvard University Pressから出されているReligions of the World and Ecologyシリーズ)がなされている。そうしたなかで、本論文が目的とするのは、地球環境問題に対する仏教的アプローチの一例としてダライ・ラマ14世の環境思想を取り上げ、その輪郭を描くことにある。彼が示唆する環境思想は、非暴力によって特徴付けられる。非暴力の対象となるのは有情であるが、その際問題となるのは植物の位置づけである。中国・日本には草木成仏思想があるけれども、ダライ・ラマにおいてはそうではなく、植物は有情に含まれない。結果、植物は縁起の論理を媒介することにより、環境思想の中に組み込まれることとなる。
著者
津城 寛文 Hirofumi TSUSHIRO
出版者
宗教倫理学会
雑誌
宗教と倫理 (ISSN:13468219)
巻号頁・発行日
no.14, pp.21-33, 2014-11

死者(あるいはここにいないはずの生者)が、姿を見せたり言葉を語ったり、その気配がしたり、匂いや音がしたりという話題は、19 世紀末英国の心霊研究で「死者(生者)の幻影」という術語を与えられ、膨大な調査報告が出された。こうした話題は、ちょうど日常と非日常の接する領域に、分布している。そしてそのリアリティは、日常的な状況では拡散し周辺化されるが、非常事においては増幅し、社会に表面化してくる。\非常事の典型は大規模な天変地異である。2011 年の東日本大震災と大津波では、ほぼ一瞬のうちに数万人の死者・行方不明者が出て、死者の幻影の目撃譚の噂が広がっている。3・11 以降、死因を共有する大量の死者のそのような大きな圧力が、日常と非日常のリアリティ比率を変えたようである。また「死者の幻影」譚を悪用した「霊感商法」や、霊感商法まがいの伝道の報告、その噂が、あちこちで語られている。死者のリアリティを扱う宗教学は、このような死者との交流に絡んでくる諸問題に対して、私的なスピリチュアリティ領域でのハラスメントやアビューズから、社会事件ともなる詐欺や脅迫まで、有形無形の非合法を仕分ける役割が期待される。
著者
辻村 優英
出版者
宗教倫理学会
雑誌
宗教と倫理 (ISSN:13468219)
巻号頁・発行日
no.6, pp.17-31, 2006-10

いかにして非暴力のモチベーションを形成するか。これが本稿のテーマである。焦点を当てるのはチベット亡命政府内閣主席大臣サムドン・リンポチェのサティヤーグラハという非暴力運動についての著述である。彼のこの著述は亡命チベット人社会が暴力的な手段を希求する可能性が高まった1995 年に出された。彼はいかにして非暴力の道へチベット人をいざなおうとしたのか。彼はチベットの悲劇が引き起こされたのはチベット人自身に原 因があるからだとする。そしてそれはカルマであると。この、カルマであるとするところにこそ、非暴力のモチベーションを形成する核心があると考えられる。その核心に潜む原理とは何か。それは、自己自身に対する通時的な互酬性の原理であり、価値に即した予定的な原理であることを明らかにしたい。How can a motive for nonviolence be given? This is the topic of this paper. We shall focus on the work on nonviolence activity called Satyāgraha (in Tibetan, bden pa'i u tshugs), written by Samdhong Rinpoche who is the prime minister (in Tibetan, bka' blon khri pa) of the government of Tibet in exile. His work was published in 1995 when the possibility of Tibetans in exile wishing for violent way to a free Tibet increased. How did he lead Tibetan people to the path of nonviolence? He argues that the tragedy in Tibet was caused by people of Tibet themselves. And, it is karma (in Tibetan, las), he says. It is conceivable that the core of motivating nonviolence is in karma by which the Tibetan tragedy is explained. What is the principle within karma? This paper will clarify that it is the diachronic reciprocity with oneself, and the pre-establishing principle following the value of action.