- 著者
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大河内 朋子
Okochi Tomoko
- 出版者
- 三重大学人文学部文化学科
- 雑誌
- 人文論叢 (ISSN:02897253)
- 巻号頁・発行日
- no.26, pp.29-39, 2009
「描写できないものの同義語」とされるアウシュヴィッツの描写可能性を巡る論争は今なお決着を見ていないが、その一方ですでに数多くの芸術的表現や歴史的ドキュメントか存在する。本稿では、戦後のドイツにおけるコミックメディア(外国コミックの翻訳を含む)がドイツ「第三帝国」(特にホロコースト)をどのように描いてきたかについて検討する。結論を言えば、ドイツ国外のコミック作品においては、たしかにナチス・ドイツは加害者として描かれているが、主たる関心は、ホロコーストに関わる「過去の記憶」の保持と、語ることによる「過去の記憶」の再生にある。読者は、過去を忘却から救い、過去を現在と未来へ繋ぐように要請される。それに対して、ドイツ人コミック作家はユダヤ人虐殺を周縁的なテーマとして扱う。 作品中のナチ党員も加害者として一方的に断罪されるわけではなく、むしろ「第三帝国」下のドイツ市民全体がナチズムと戦争の犠牲者として捉えられている。