著者
大庭 絵里 Ohba Eri
出版者
神奈川大学経営学部
雑誌
神奈川大学国際経営論集 (ISSN:09157611)
巻号頁・発行日
no.39, pp.155-164, 2010-03

本稿は、犯罪事件を起こした少年が犯罪ニュースの言説においてどのように構築されてきたのかを考察し、少年事件への人々の「まなざし」の変化と厳罰主義について議論することを目的としている。ニュース・メディアとしては朝日新聞を対象とし、少年法が施行された1949年から2004年まで、5年ごとに少年事件の記事を収集した。本稿が依拠する理論的枠組は、メディア表象研究及び言説分析におけるリアリティ構築の観点である。 犯罪事件はいつの時代においても報道されており、とりわけ、1960年代においては犯罪事件の記事は多く、日本社会においては少年事件に対してもきわめて大きな関心があったと考えられる。その後、少年事件の記事数は次第に少なくなる。罪種別にみるならば、かつては軽微な非行や微罪になり得る犯罪事件も報道されていたが、近年になると身体への傷害をともなう事件や殺人など、「凶悪」とされる事件が相対的に多く報道されるようになってきている。 加害少年については、精神障がいの有無、少年の経済環境、家庭環境などが否定的に描かれ、犯罪は「特別な事情」のある人間が犯す出来事として描かれていた。しかし、そのような差別や偏見を助長する表現が減少し、言説上においては、犯罪を起こす少年が「普通」の少年であり得るように描かれ、犯罪少年のイメージは「一般化」した。同時に、犯罪・非行は社会的要因によって起こるというよりも、犯罪事件を起こした少年個人に行為の理由が見いだされるように、ニュース・ストーリーは変化してきた。この言説上の変化は、少年事件に対する人々の「まなざし」の変化を表していると考えられる。 犯罪事件を引き起こす人間に対する厳罰化を求める風潮も、このようなメディアにおける犯罪・非行のイメージの構築と無縁ではない。